年末はテレビで格闘技の実況中継が多くなる。なぜだろう?TV局で他にやることが思い浮かばないということなのか?少しはそんな事情もあるかも知れない。勝手な想像だが、年の瀬になると“生き残った感”を誰もが感じるからではないかと自分は思っている。適者生存の自然の摂理に、なんとか今年1年は適うことができた。そういう命への意識がいつもより暮れは深まるからではないか。人と人が命がけで激しく闘争する様をこの時期人々が見たくなるというよりも、そういうものを見てよい時だ、そういう暗黙の了解がなんとなくできているように感じる。

 昨日のボクシングの世界タイトルマッチは、その命のせめぎ合いを感じる試合だった。以前にもこのコラムで取り上げたことのある八重樫東選手の試合のことである。1年半前に取り上げた時は、当時対戦相手が逃げてマッチングができないと言われていた、軽量級最強と謳われるローマン・ゴンザレスの挑戦を受けて立った時だった。試合は惜しくも敗れはしたものの、最後までこの最強挑戦者から逃げることなく、あわやのシーンを作る激闘を演じ抜いた潔い勇者の姿に感動した記憶が今も残っている。その後、空位のとなった八重樫選手は昨年の大晦日、階級を下げて3階級制覇を目指しタイトル戦に臨んだが、相手のボディーブロー一発でマットに沈んでしまった。ボクシングではボディーを打たれて倒れることは屈辱と言われている。

 この屈辱の敗戦で、32歳という年令も考え八重樫選手は一時引退を考えたと言う。ボクシングというスポーツはきわめて厳しい条件下のスポーツだ。ボクシングジム関係者からは階級を変えて再起しろという提案があった。しかし、八重樫選手はこのガタガタにされたライト・フライ級という階級に拘ったわけだ。敢えて茨の道を選ぶ。最強挑戦者から逃げなかった八重樫はやはり八重樫だ。昨日の試合には期すものがあっただろう。

 試合は、メキシコの強打のチャンピオン、ハビエル・メンドサ選手との激しい打ち合いに終始した。両者すぐに顔面が腫れ上がり、メンドサはまぶたが切れ出血し、八重樫は腫れ上がって眼が塞がれそうになっていた。徐々に八重樫の優勢が際立ってゆく。観衆は期待感で寡占状態になる。最終ラウンドの終了ゴングが鳴って、テレビ桟敷からも八重樫の勝利は確信できた。判定の結果発表を、リングロープに前のめりにもたれながら、頭を下げて耳をそばだてていた八重樫が“・・新チャンピオン・・”とアナウンスされて両手を挙げて天を向いて喜ぶ姿にはインパクトがあった。

 試合後、『強い相手と闘うことがボクサーの喜びだし、仕事だし、お金を払って観に来てくださるファンに応えることだと思っています。』と八重樫選手は言っていた。大したことをあっさり言いのけてくれる。手強い相手は避けたいのが人情だ。このストイックさ。さらに別なところで『・・練習に依存しないで自分の体に向き合う・・』と試合前に練習の虫として鳴らした八重樫が言っている。安心のためだけの無駄な練習をしないということだ。クレバーな知的なボクサーである点が、この日の勝利を掴ませたと思えた。そして、家族が居るから闘えるとも言う。『去年の大晦日、負けてしまって大晦日が誕生日の奥さんにベルトをプレゼントできなかった。今年は2日早いけどプレゼントできます。』と勝利後、リングに上がった夫人にベルトを手渡した。見せてくれるわな。

 ただ、忘れてならないのは、相手が強いチャンピオンだったこと。メンドサこそ、最後まで逃げなかった。前に出続けた。いくらパンチを浴びても怯まず出て行き、最後まで倒れなかった。彼もフェアプレーの勇者だ。『・・魂の闘いができ満足している・・』これが試合後のメンドサの談話だそうだ。このような二人が命を掛けて闘ったわけだ。昨日の試合は胸に刻まれる試合になるに決まっていた。
 敢えて困難な道を選ぶ。闘志の火を燃やし続けながら。たとえ命が掛かっても。年末、格闘技の興行が多くなるのは、その理由がわかる。(了) 文責;島田真樹