とある時、ユーチューブを見ている生徒の数は、こちらが思っているより遥かに多いと気付いたことがある。ネットの浸透は、若年世代では既に完了状態に近いのではないか。ネットがごく普通の生活ツールとなっていることはまちがいない。ほぼすべての生徒がネットに触れて生活している。

 世の中の他の多くの事と同じように、“使い方によっては危険なものとなり、時に身を滅ぼす元にもなりかねない”のがネットとの関わりだろう。例えば“お酒”。あまりにもよく言われる通り、適度にたしなむならば“百薬の長”と言われ、過ぎれば“狂い水”などとも言われる。おまけにそれはやがて中毒化し、生活破綻の元となることもある。

 これはよくわかっていることで、今さら“お酒を飲み過ぎたらこんなことになるなんてよもや知らなかった”などと言う者はまずいないはずだ。しかし、実際にアルコール中毒になる者は少なくない。“キッチンドリンカー”と言われ、家事の合間にお酒を飲み続けて中毒になる主婦が増えていると社会問題化したこともあった。

 “お酒の飲み過ぎはよくない”とは、実は学校ではあまり教えないように思う。少なくとも私は学校でこのことを教えられた記憶はない。これはやはり家庭の躾けが教えるところだ。だが、もっと世の中にアルコール中毒患者が溢れるようになって、様々な社会の機能がよりマイナスの影響を受けるようになるなら、公教育はもっとお酒の呑み方を反復して教えるようになるかもしれない。

 今やネットの普及はお酒の普及以上だろう。だから、学校教育で教科の“情報”がその一翼を担っていると言えば担っているわけではある。それこそ“越えてはならない一線”についてはぜひとも教えるべきだ。ただ、指導の現場の態勢全体はどのような状況にあるかと言えば、あまりこれを強化しているとは言い難い。様々な要因はあるだろう。思うところで、一番大きな要因は意識ではないか。ネットで一線を越えないことがいかに大切かという指導側の意識のことだ。
例えば、キッチンドリンカーならぬ校長先生が校長室で真昼間からちょくちょく酒をあおっているようでは、まちがっても適切なお酒の呑み方など生徒に教えられようはずはない。ネットの教育もまたしかりである。(了) 文責;島田真樹