トップマネジメントにはどうしても倫理性が求められることを前回述べた。特にスタッフの倫理観に明らかに抵触するようなトップの異性問題が浮上するに及んでは、早晩、当該の組織はその末期の水をとることとなる。

 さて、今回の稿では組織内の結婚問題を取り上げたい。
法人のスタッフの男女構成比がバランスを欠くケースはかなりの企業、法人で見られることだろう。女性スタッフが少数派となっている法人では、その職場のその少数の女性スタッフから、もっと女性を登用できる職場にして欲しいと声が挙がる。つまり女性が働きにくい環境になっているのではないか?また、女性を職場の戦力として軽視しているのではないか?それらは改善すべきだ、という至極自然な声が挙がるのである。特に顧客が男女半々であるような職種の場合は、極端にスタッフの性別バランスが偏るのは不具合だ。問題解消が望まれる。

 そこで、当該法人のトップは女性スタッフの採用を強化することとし、一定数の女性スタッフが新たに採用となった。この採用自体は妥当性が高い。しかし、その時、当該のトップは、採用した女性スタッフを、あろうことか“結婚しない”から選抜したというならどうか?選考時に応募者本人から「結婚しない、そして出産しない」と言質を取ったとまで言いのけるような採用面接が本当に行われたとすると非常に問題である。そのような約束を前提に採用することは、少なくとも雇用機会均等法に触れることはまちがいない。当然、そのような直接的な確認は面接時に為されることはない。人権侵害の要件を満たすからだ。

 すると“結婚しない、出産しない”と選考時に応募者が言ったのではなく、話の片々からそのように採用者が類推し、思い込んだに過ぎない事態と解するのが妥当だ。繰り返すが、応募者から結婚しない、出産しないという言質を取って採用したなら違法行為となる。そのような不適当で下手な確認を立場のある者がするはずはない。

 ところが、その採用者の思い込みを相互の現実の約束だったと捉えるような事態が生じるのはいかなるプロセスか?このプロセスにこそ重大な問題がある。

 やがてその後、当該の女性スタッフが結婚したと法人に報告してきた時、そしてさらに懐妊したと報告してきた時のリアクションはどうなるか?女性スタッフのことは、約束を反故にした敵対者と一方的に決めつけることになる。対して自身は約束を破られた被害者だと思い為す。女性スタッフにとってそれは驚天動地の言いがかりでしかない。だが敵対者の排斥がまたぞろ始まってしまう。そのパージの中には、究極の福利厚生と社会的にみなされている法人からの結婚祝の凍結を叫び出すなどという愚挙も含まれる。合理性も何もない。こんなことは法人の全スタッフにとってマイナスにしかならない。権限者の思い上がりも甚だしい傲然たる愚挙である。事実はただの一方的な“仕返し”であって、その私怨を晴らす報復のために手段をまったく選んでいないというに過ぎない。まさにマタハラである。

 このような暴挙が法人内で進んでいることを周囲のスタッフが知り始めたらさすがに騒然となる。そしてそこから遂に第一声が挙がるに至るが、むしろそれは必然と見える。

 職場のスタッフが結婚して伴侶を得る、あるいは子ども持つ、それを仲間が認め合い、法人としても祝意を示すことは日本の企業法人の美風だと思える。逆に労働力の供給効率から結婚させない、子どもを出産させないなどとというのは、その考え方においてアウシュビッツを生んだ思想に底が通じている。

 スタッフの結婚、出産を拘束しようというのは暴挙であると同時に無謀だ。なぜならそのような動きは構成員に看過されないからだ。反発必至である。また、もう一つ、職場のスタッフに結婚がタブーであるなどというなら、言っている自分自身はどうなのか?という声も挙がる。自身も職場結婚ではなかったのかと問うわけである。スタッフにばかり、他人にばかり足枷をかけようとするのはどういうことか?そうなるわけだ。次回へ続く。(了) 文責;島田真樹