前回はパワーハラスメントというものが対象となった個人だけでなく、法人全体を蝕みかねない凶事であり、また、この手の暴挙に出るようなレベルの経営者は、同種の事件を執拗に繰り返し、組織を崩壊に至らしめる元凶となることを述べた。経営者の歪みが組織の構成員へ及ぼす影響は甚だ大きい。その歪みが構成員の間に公然化して広まることが組織の致命傷となりかねない。

 ここで言う“歪み”とは、まっとうな社会的倫理観から大きく逸れていることを指す。そして繰り返すが、その歪みを構成員すべてが目の当りにした時が、当該組織の滅亡の序章がめくられた時だ。以降、経営者が何を述べようと“他人様へもの申すなどおこがましい”と構成員が思い始めたら、当該の組織は終末に向かうほかない。この状況の組織が崩壊を回避するには、そうなる前にこの経営者の歪みを糾す第一声を挙げるしかないことを繰り返している。重ねて黙認こそ最大の敵となる。

 組織のトップには一定以上の倫理性がどうしても求められるのである。このことは世界共通だろう。トップマネジメントの言動、すなわちその発言や行動が倫理に悖ることは許されない。節操がないのは唾棄され忌み嫌われるところとなる。その典型がよくあるトップの異性問題である。これが起きると見事に人心は離れる。普段、高説を唱えているトップの場合は、そのギャップが大きい分、急降下で信任は地に堕ちて果てる。壊れるのは一瞬だ。

 世の中で事例に枚挙の暇がない事柄ではあるが、専ら法に触れる内容だけが倫理に悖るとされるのではない。そこまではいかなくても、構成員をたちどころに鼻白ませる事例はたくさんある。構成員のアンテナはこの点ではきわめて過敏であり、細大漏らさず見逃すことはない。

 新入職の女性スタッフを、採用時の職種から転じてトップの秘書とすることにはなんら問題はない。それは人事権者の裁量の領域である。しかし、構成員の受け取り方、解釈はそれほど明快ではない。唐突に見えることで、半ば疑念が兆している。そうなりがちであるがゆえに、このような解釈の幅が生じる人事は一般には行わない場合が多い。さりながら一方で、その人事がどうしても必要であるなら、もちろん行わなければならないが、この時には構成員の疑念に触れないよう注意はしておきたい。誤解を与えないよう、まさに業務遂行にビジネスライクに徹することが一定期間続いて、構成員の疑念を雲散霧消させるような心遣いが必要だ。

 そのような微妙な状況にあって、首をかしげ加減になっている構成員の耳に、あろうことか当該の秘書がトップのことを「~坊」と呼んでいるなどと皆の耳を疑うような情報が届いたらどうなるか?昔、ヒロシ&キーボーというデュエット歌手がいたが、この伝で、「~坊」はファーストネームにこれを付けて愛称にする時に使う。誰のことをそう呼んでいるのか?これでは何があってもなくても、トップの威信はガタガタと音を立てて崩れ落ちるだけだ。

 こういった事柄もやはり繰り返される。構成員が「またかよ」と思ってしまうようでは、当該の組織はグチャグチャになる。紙数が尽きた、このテーマで次回さらに続ける。(了) 文責;島田真樹