引き続き、組織の崩壊要因について考察を加えている。前々回では、まず経営者において健全なる精神があるか?を取り上げることから論考を始めた。次いで、前回は、経営者が当該の法人にあって個人の利殖をその経営より優先するようでは組織に先はないとも述べた。いずれも経営者の在り方が組織へ及ぼす影響の深刻さに触れることとなったが、やはり組織の崩壊を考察する時に、その当該経営者の行状に言及することは避けられない。

 三稿目として、今回は組織の構成員の人心離反について考えたい。さて、例えば、大きな病院の院長が、人事権者であるからと言って、内科同士だからと呼吸器内科に所属していた医師を消化器内科に異動させるようなことはあり得ないだろう。患者への医療が適正に行われるかの観点が最大限優先されるからだ。また、この人事で医療ミスなどが起きてしまった場合は、あまりに大きな責任を院長は問われることになる。だから普通は行われない。しかし、もしこれをそれでも断行する院長がいたとしたら、また、それがその特定医師を”干す”ための凶行だとしたら、その病院は、早晩跡形もなく消え去るだろう。病院のスタッフ全員が事の真相・顛末を見ているからである。

 経営トップが強権を背景に、人事の名を借りた特定者の排斥に出ることは、当該の組織の致命傷となりかねない。そしてそれとともに、そのトップ自らの経営者生命に致命傷を与えかねない。なぜならその顛末は同じ組織内において、衆人環視するところとならざるを得ず、ゆえにその経過を傍観しているスタッフすべてにとって、容易に理解できる処断の理由が必要だからだ。それが示されない場合は、その処断には最低でも手続きの不正があるとスタッフに看做されることとなる。まして、例えば、不安定な精神状態の者が忽然と誰かれを敵対者と思い為し、勝手に“チキンレースの敵”をパージし始めたとしか周囲に映らないなら、その瞬間に当該の組織は崩壊の一途を辿り始める。

 上記の医師免許など一つの国家資格とは言うものの、さらに細分化された専門分野はある。法曹でも様々な専門領域がある。また、教職についてもこのことはあてはまる。特に理科や社会科は科目が分かれ、高校内容ともなるとかなり専門化、細分化する。二刀流とは言うが、例えば地学と物理、日本史と世界史を同時に担当する者は現実にはあまりいない。長らく専門科目の指導にあたってきた教員が、ある日突然、青天の霹靂のように、免許はあるが手掛けて来なかった科目の担当を命じる辞令が出る。そのことのまともな理由は誰にも理解できない。教務上の判断とは無縁の制裁と観る向きすら出る。さらに、そもそも生徒の利益を顧みていない、むしろ逆に平然と踏み台にして憚らない姿勢だと疑念のみが膨らむ。すなわちあまりに合理性を欠いている人事と大多数が看做している。国家の免許があることだから問題ないとは誰も観ない。むしろ典型的なパワーハラスメトだと認識してしまう。こうなったらそれは最悪の状況だ。

 パワハラ問題では、言うまでもなく対象となった者の負担・被害はきわめて大きい。しかし、もう一つ忘れるべきではないことは、その他の構成員への影響の深刻さである。この手の凶事は、一度でも組織全体を吹き飛ばすに十分である。構成員全員の離反は一瞬で完了する。一方で、この挙に出るような経営者はその手の凶行を一度で終わらせることはまずない。必ず繰り返す。そうして驚くほど完全に当該の経営者への人望は失われる。そして二度と回復はできない。離れ去った人心はもはや戻って来ることはない。理不尽は結局通じないし、続くものでもない。

 トップマネジメントには倫理性が必ず求められる。次回さらにこの点の核心へ考察を進める。(了) 文責;島田真樹