終戦から69年が経過し、いよいよ戦争を知る世代は少数となっている。終戦の日、たまたま出会えば挨拶など交わす自宅近所のご老人と立ち話になり、そんな話になった。当時13歳だったその方は、親兄弟は既に亡くなっていて、その方だけが存命なのだそうだ。とにかく空襲警報に夜ごと叩き起こされて満足に眠れない日々、心底お腹が空いてひもじかったその頃の辛さが今も忘れられないと言われていた。戦争は子供に一番過酷なものだとわかる。どんな理由があっても、自国の子供たちを戦禍にさらした指導者は、相応の責めを負わなければなるまい。

 徳川時代は260年以上、戦禍という戦禍のない時代であって、このことは世界史上であまり類例をみないと聞いたことがある。この一点をもってすれば、徳川家康は立派な骨組みの国家を作ったと言えるだろう。応仁の乱から続く長い戦乱の世を最終的に平定し、かつその後、後継政権を安定的に継続させる仕組みを残し、戦乱のない世の中を残した。厭離穢土という彼のスローガン通りの天下を残したということは改めて評価されるべきだと思う。

 この総じて平和な江戸時代、日本の庶民の子弟教育は著しい進展を見せる。ご存知、寺子屋の普及は加速度的と言えるほど凄い勢いで広まって行った。人口が現在の5分の1程度であった江戸時代末期に15000以上の寺子屋が在ったというのであるから、現在の人口に照らせば15000×5倍の75000程度の寺子屋が在ったイメージだ。小中高生対象の学習塾が全国に50000社、学校が公私合わせて約40000校。合わせて90000事業所。これとそれほど遜色ないほどの教育網が江戸時代に既に在ったということは、案外凄いことである。その後、明治の近代化は非常にハイペースであって、世界史上の奇跡と評されているのを目にしたことがある。しかし、それは奇跡ではなかったということだろう。民度が高かったということだ。

 塾のご先祖様はやはり寺子屋だろう。実際におよそ50000社の塾のうち、9割以上は個人塾である。ご当地にあって、学校の先生には異動があるが、異動することなく場合によっては親子でお世話になるような地域に根ざした個人塾がいくつもあるが、これはまさに寺子屋のイメージではなかろうか。日本人の民度ということを考える場合、塾にはそれに対する一定以上の働きかけがあったと見て差し支えないだろう。

 塾も戦後の平和な時代、特に高度成長時代に急激に増えたものでもある。江戸の太平の世に寺子屋が隆盛したように、戦後70年間余りを数えた平和な時代に、塾も一定の隆盛を見ることとなった。平和は教育になくてはならない。また、同時に教育は平和のためにあるとも見える。そのために何をどうするべきか、にわかに見えては来ないのだが、塾の講師や学校の教員とは、そのような仕事であろうと思う。
 あの太平洋戦争を実際に体験した人々が少数となって、またぞろ戦争の準備を始めるようでは、教育は何をして来たのか?ということになる。経験しなくてもその非を伝えることができるが教育ではなかったろうか。(了)