センター試験が終わった。しかし、束の間の開放感を感じることもなく、新たな焦燥の中に受験生はいる。合格発表まで、まだまだ遠い。自己採点の悲喜こもごも、今はその時間になっているはずだ。ご存知の通りセンター試験のでき如何では、受験先を変更せざるを得なくなる。ある意味、受験とは培った学力を試すというよりも、チャンスを如何に捉まえるか、そのことを試されることなのだろう。昨今言われている到達度テストの導入は、生徒の日頃の学力を、きめ細かく、より客観的に見るという点では理にかなっている。極端な言い方だが、現行の一発勝負型入試は限りなく“運試し”の様相がある。あるいは古代人が熱湯に腕を浸して罪過の有る無しを見極めたという“クガタチ”にどことなく似ている気さえする。

 しかし、常に勝負は一発だ。これは事実である。チャンスに結果を残した者を勝者と呼ぶ。それを活かせなかった者が敗者だ。この違いは確かに大きい。ただ、忘れてはならないことは、勝者にも敗者にも同じチャンスがあったということ。勝者だけにチャンスがあったのではもちろんない。確実に敗者にもチャンスはあった。チャンスが与えられた点については完璧に平等である。このことは当たり前なのだが、小さなことではない。勝ち負けはどうでもよいと言っているのではない。勝つことは大事だ。プロスポーツに限らず、食べてゆくためには勝ち続けなければならない。ただ、勝つための前提には、とにかくチャンスを得ることがある。まずはここからだ。

 必ず勝てるかどうかはわからないけれども、少なくともチャンスにありつけたことは素直に感謝するべきだ。勝つことは難しい。なにしろ強い者が必ず勝つわけでもない。強いだけでは勝てない。それは勝負の“文”と呼ばれる。強いが勝てないという者が、おそらく世の中にはごまんといることだろう。その逆も時にある。ダークホースなどと呼ばれる、まさに一発屋も確かにいる。“勝負は時の運”とも言うわけで、まさにやってみなければ勝負はわからない。だからこその結果が大事、勝利がすべてということになるわけだが、待てよ、それなら勝負に臨めたこと自体が、それに劣らず貴いことだとわかるだろう。むしろより確かなことは、勝者にとっても、敗者にとっても自身がチャンスを自らの手に入れたことの方だ。

 大事なのはチャンスだ。ひょっとすると勝敗よりもチャンスの方が大事なのではないか。そういう気がしてくる。チャンスさえあればいつかは勝てる、そんなことは甘い戯言だろうか?いやいや、それがむしろ経験知だったのではないか。繰り返しになるが、常に“勝負はやってみなければわからない”のである。これは真実だと思っている。さて、とは言うものの、センター試験の結果が出た生徒たちに、“大事なことはチャンスを手に入れることだったのだ”などとは、今は言えない。われわれは行動で示すしかない。生徒たちの次のチャンスメーキングを手伝うことのみだ。(了)