この正月は久しぶりに郷里に帰って来た。日頃、老親を実家に二人だけにしているので、気がかりにはなっているのだが、仕事やら何やらにかまけて、これまでは“越すに越せない大井川”を自分でこさえてきた。もうかれこれ10年は帰えっていなかった。だが、暮れに老親が揃ってケガを負ってしまった。齢八十ほどともなると、さすがに足が弱ってくる。ちょっと転んだだけでも案外なケガになってしまうのだ。それで、にべもなく年末仕事がはねるのと同時に帰郷したわけだった。新幹線と在来線を乗り継いで8時間。着いた頃にはすっかり外は暮れてしまったが、それでも、思ったより近く感じた。さてと、二人はどうなっているかな?そう思いながら久々に実家の玄関を開けた。

 玄関の向こうでは、手首に添え木をした母と、腰のコルセットがようやく取れたという父が笑って迎えてくれた。思ったより、二人が達者に見えたので少し安堵した。頭の中ではもっともっと重篤なイメージを抱えて帰ってきていたので、上がりがまちに二人が立っているのを見て、肩から少し力が抜けた。それでも、色々やるつもりで帰ったわけだが、何かやることはないか?と言ってみたが、何もすることはない、休めと言われてしまった。では飯でも、となって、少し母を手伝って雑煮を作ってもらい食べた。懐かしい椀に、懐かしい湯呑に、そして懐かしい味だった。ずっと毎年食べ続けていた雑煮の味だ。母は、まだ料理ができる。そう感じて少し安心した。帰った甲斐があった。

 安心したおかげか、饒舌になって両親と話しをした。主に互いの近況だ。年寄りのこと、あまり遅くなってもと、切り上げて横になることにした。まだ昔使っていた自分の布団があって、そいつで休ませてもらった。こいつはぐっすり眠れる。そうして朝起きると飯ができていた。自分が帰って居る間はオサンドンを出すつもりで勇んできたわけだったが・・・。昔のように母は誰よりも早く起き出し、台所に立って朝飯を作っていた。その姿を見ると、何かやることはないか?などと尋ねることは無用のことだと思った。それを母は喜ぶわけではない。自身で煮炊きをして、自分に食べさせるのが本望なのだとわかった。自分は黙って食べればよいのだ。

 あっという間に正月は過ぎてしまった。速い。東京に戻る日となった。帰ってくる前に気張っていたほどには、結局何もやれなかった。逆に、食べて、話して、寝て、自分の方が養われるばかりだったというのが実態だ。結局元気をつけてもらったのは自分の方だ。ここに自分のふるさとがある。ふるさとは、かくも自分を養う。これはおそらく永久に変わらないだろう。その土地で育ててもらった者にとって、ふるさとは永久に自らを養い、育んでくれる場所であり続けるだろう。今回帰って、改めてふるさとを発見した思いだ。そして、ふと思うのだが、子供たちが通ってくる学校でも、塾でも、子供らが通い続けるうちに、いつしか、それは子供ら自身にとってのふるさとになっていくはずだろうと。いや、待て、そういうものでないならば学校でも塾でもないということだ。そうだった、自分なりに、ふるさと作りをまたやるとしよう!父母に見送られ、帰りの車中でぐっと気持ちが固まった。(了)