やはり東京オリンピック・パラリンピック開催決定の話を今回は書くようだろう。現地アルゼンチンのブエノスアイレス時間9月7日(日本時間9月8日未明)、当地で開催された国際オリンピック委員会(IOC)総会は、2020年オリンピック・パラリンピックの開催地として、立候補3都市の中から決戦投票の末、日本の東京を指名した。東京苦戦の事前の予想を覆した形で、大差で他の2都市をおさえることができた。今、様々な勝因が語られ始めている。少なくともスペインのマドリード、トルコのイスタンブールと比べたときの東京のよさをしっかりと委員に伝えることができたから、今回の吉報を手にすることができたことはまちがいない。報道はひっきりなしに東京決定の報を流し続けている。そして街角の喜びの声を拾い続けている。

 1964年の第18回オリンピック東京大会に対しては、自分は実はTV中継を見たかすかな記憶もない。ただ、半世紀前の東京オリンピックを、そんな自分が知っているつもりでいるのは、幼い頃、家にあった東京オリンピックの実況を録音したソノシートを通じて、時折それをレコードに掛けては試合の中継録音を聞き、またその都度、何度もジャケットの活躍選手の写真を見ていたからだろう。今ではあのようなソノシートが出回ることもあるまい。昭和39年の東京オリンピックならではのことかもしれない。このときのオリンピックは、アジア初の開催の栄誉ということだった。昭和15年予定の東京大会が日中戦争のため中止となり、20余年かかって、開催を取り戻した形の東京オリンピックだった。敗戦後の復興を果たし、高度成長を遂げつつあった日本の復興・回復をこのオリンピックは象徴したとされる。ある意味、オリンピック開催は夢の実現であったかもしれない。

 今回、最終候補となったマドリードもイスタンブールも、心底、2020年オリンピック・パラリンピックを招致したかったことだろう。南欧の経済危機、そして隣国の政治混乱など、それぞれに安全性と安定性において、東京に及ばない要素があったと言えるのだろう。もちろん東京にも福島第一原発の汚染水問題という大きな問題が存在した。しかし、東京にはわずかに他の2都市より魅力があると、IOCの委員たちが感じたわけだから、それを伝えることができたプレゼンテーションは確かに大きな勝因の一つだ。オリンピック、パラリンピックのメダリストたち、安倍首相、猪瀬知事など政治家、官僚、そして皇室から高円宮妃もスピーチに立たれた。各界のチームワークの賜物であったのだろう。また舞台裏では、過去のオリンピック・パラリンピックの数々の招致を成功させた“振付師”を東京は雇っていたそうで、その振付師による『合格必勝講座』をプレゼンターたちはしっかり受講したという話も聞いた。

 さて、パラリンピックは前回の第18回大会にはなかった。オリンピックも、それを取り巻く世界も変わっていることはまちがいない。第18回大会を実際に観戦した世代は、次回の2020年にはむしろ少数になっているのだろう。あと7年後とはいうが、この7年間で何が起こるかはわからない。しかし、まちがいなく、一つの明確な目標ができた。もちろん競技者だけに目標ができたとは思わない。早速は株価が東京招致決定を受けて跳ね上がりをみせている。オリンピックの影響は小さくない。政界、財界、教育界その他多くを含む、国民にとっての近未来の目標になったと言えるだろう。なにより、今はまだチビ選手と呼ばれる子供たちにとって、夢の舞台が一つできただろう。子供たちが望みを持つことの力を信じたいと思う。
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