2016年01月

別人みたいな話

 また相撲ネタである。時々相撲の話がしたくなる。相撲には伝統に育まれた、なんというか形式美があると思う。土俵で取る相撲に型があるが、相撲界全体にも型があるのだろう、背景がしっかりしていて、ここに載せて描いたらよい絵ができそうな世界だ。力士を包む空気に歴史が滲んでいるのだと思う。

 この初場所では、久々日本人力士が優勝賜杯を手にし、それが10年ぶりだというニュースに沸いた。ただ、この長い沈黙を破ってみせたのが、他ならぬ琴奨菊だと予想できた人は滅多にいなかったにちがいない。これは本当に意外だった。ダークホース中のダークホースであった。なにしろ前の場所は8勝7敗でぎりぎりの勝ち越し。また、至るところにサポーターを巻いていて、故障に苦しんでいる様子が丸分かりの姿だった。そんな先場所までの琴奨菊の様子から、まさか今場所優勝するとは思えなかった。

 しかし、今場所の優勝はけしてフロックではない。圧勝、圧巻だった。まずモンゴルの3横綱をすべて薙ぎ倒した。大関陣も総なめだ。終わってみれば見事な14勝1敗。この唯一の負けは、幼馴染で中学時代は同じ学校の同窓だった豊ノ島に敗れたものだった。ちょっと因縁めいている。千秋楽の優勝を決めた大一番を終えて、控えに帰る花道の奥で、豊ノ島は琴奨菊に祝福の出迎えをしていた。笑顔で握手を交し合っていた。一昨日の友が昨日は敵となって、今日また友となった。豊ノ島はテレビのインタビューで『最も嬉しく、最も悔しい』とコメントしていた。まさにそうだろう。

 琴奨菊の今場所はまるで別人のようであった。別人も別人、短期間でこれほどにも変われるものかと思わしめ、進境著しいものがあった。確かに体格も大きくなっている。僧帽筋がモリモリと盛り上がっていて、相当に筋肉トレーニングを行ったことをうかがわせる。ほかにも全身が筋肉を纏い、その分大きくなっていた。でも一番大きな変化はこのことではない。体格、体調もさることながら、最も変わったと思ったのは、土俵に上がってからの琴奨菊の落ち着きぶりである。これは画然とちがった。以前は、スグに舞い上がっていた。大一番では上滑って空回りしている印象が強い力士だったのだ。今場所のあのどっしり感とは無縁だったと思う。

 『今日もルーティン尽くしの一日でした』優勝インタビューで琴奨菊は優勝を掛けたこの日の一番について感想を求められ、こう答えていた。続けて『勝ち負けより、自分で決めたことをやり抜くつもりだった』とも答えた。なるほど!ここにあったのだな。おそらく琴奨菊はメンタルトレーニングを積んでいるにちがいない。イメージトレーニングをしっかりやっているだろう。体力の強化だけであれだけ変わることはないと思える。自分のベストの相撲を取り切るための最良の一日の流れのことを“ルーティン”と呼んでいるのだろう。やっぱりメンタルが変わった時に真の強さは出てくる。

 メンタルが変わると言えば、琴奨菊の新婚の愛妻の存在が大きいようだ。『優勝賜杯を取って、その横に妻を座らせる』そういう約束をしていたらしい。大切に思う人がいて、護るべき者があると思う時、その人物のメンタルは急激に強くなるのだろう。琴奨菊が力を出せたわけである。(了) 
文責;島田真樹

勇気を翼にこめる話

 17日の日曜日、今年のセンター試験が終わった。翌日の月曜日は都内も大雪となったが、センター試験の2日間はなんとか天気は持ちこたえ、その点では無事試験は終了したようだ。もちろん試験の結果の方は受験生によって悲喜こもごもだろう。ま、喜ぶ者はかなり少ないだろうが、中には笑いを噛み殺して嬉しがっている受験生もいるだろう。多くは悄然としているのではないかな。移動中に電車に居合わせた受験生が『心が折れた』と友人に話しかけているのを聞いた。何度となくこの言葉は聞こえて来た。

 両日とも、移動中に電車で受験生と居合わせる機会がかなりあった。いつもと同じような光景ではあるが、どうしたものか、これから本番に臨もうとして緊張の面持ちになっている受験生を見ていると、なんとういうのか愛おしいような気持ちになる。別に彼らが、か弱く見えて・・なんてのとは違う。これから闘いへと勇気を振り絞っているかのような、その真摯なひたむきさに、どこか美しさが感じられるからなのだろう。

 今年は、たまたま受験会場となっているとある大学の付近に所用もあって、校門から試験会場に入ってゆく受験生たちをちらちら見かけた。みんな思いを持って歩いているのがわかる。そして見ていると段々姿が小さくなって行く。『やれよ』というくらいしか伝える言葉はない。小さくなって行く受験生たちを見つめていると、これはひとつ、旅なのかなと思えたりする。一人また一人、旅立って行くように見えた。
“旅立ちの日に”という合唱曲がある。日本中の卒業式でよく歌われているあの名曲だ。センター試験の会場に入ってゆく受験生を見ていて、なんとなくこの曲が頭の中を流れてきた。雰囲気から合ってる曲を頭が拾って来たのだろう。
    ♪
     白い光りの中に山なみは萌えて
     遥かな空の果てまでも君は飛び立つ
     限りなく青い空に心ふるわせ
     自由を駆ける鳥よふり返ることもせず
     勇気を翼にこめて希望の風にのり
     このひろい大空に夢をたくして
                           ♪
 
 もちろん、試験会場の大学には山なみはないが、確かに鳥たちは飛んで行ったと思う。(了) 
                                                    文責;島田真樹 

 

一日一生の話

 正月の二日、三日と言えば恒例の箱根駅伝である。途中で外出の用が重なってしまったので、今年は往路も復路も最後まで観ることはできなかった。結果は青山学院大学の非の打ち所のない1区からの完全優勝だった。駅伝は好きで正月は毎年いつもコタツの前でテレビに齧り付いている。自分にとって恒例行事なので、今年は最後まで観ることができないことに自身がもっと残念がると思っていた。だが、われながら案外そうでもなかった。まったく観ることができなかったなら、確かに相当残念がっただろうけれども。

 実は、スタートシーンを観ることができたので、内心で半ば納得したのだと思っている。駅伝はあのスタートシーンだ。あそこに籠もるものに一番インパクトを感じる。往路も復路もスタートの前後の、あの鋭角な時間帯が一番観がいがある。あれは伝わる。選手の緊張はもちろん伝わるが、それだけではない。一瞬に掛ける思いというか、念を感じるのだと思っている。泣いても笑っても、今日この一瞬しかない。その瞬間を掴めるのだろうか?走る者にはもちろん、観る者にもその思いが押し迫ってくる。

 あれほどの思いで何かの始まりを待つことはそうはない。生涯に数えるほどだろう。場合によってはそんなシーンに出会わない人生もあるかもしれない。確かに濃いが、その分とても輪郭がはっきりしている。そこには音は消えている気がする。耳を澄ましていても音は聞こえない。というか声が出せないのだと思う。何もないが全てが在るような気になるような。蒟蒻問答のようではあるが、捉えきれないのでそのように言うほかない。そういう一瞬である。

 一瞬にあまりにすべてが詰まっている感じは、例の中国の故事“一炊の夢”を思い出させる。野心を持ちながら自身の農夫の身の上を嘆いている青年が、国王にまでなり栄耀栄華を極め、天寿を全うして他界した、ここのところでなんと青年は眼が覚め、これが粥がまだ炊けないまどろみの間の夢だったと分かるという話。元々この話は人の世の栄枯盛衰の儚さをメッセージしているものだが、その儚さよりも、一瞬にあまりに膨大な凝縮がある驚きの方に私は面白さを感じる。

 一日一生と言う。日々の一日をさながら一生と思って、常に最期だと思い、時を愛おしがって生活する様を一日一生と言うのだろう。一瞬にすべてがあるように、一日に一生がある。朝、起き抜けにこの思いが沸き立つようなら随分違う。箱根のランナーがスタートラインに立つような濃密な朝は、意識し過ぎると重いのかもしれないが、しかし、事実として明日があるかどうか、今日一日が終わってみないことには本当は分からない。だから事実は、常に一日一生である。ふと正月はこの言葉を唱えてみたが、案外しっくりした。齢の加減もあるのだろう。今日一日は一生である。(了)  文責;島田真樹

 
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