2015年11月

あまりにも強い話

 パリで同時多発テロが起きた。またしても罪のない無辜の市民が無差別な暴力の犠牲となった。もちろんフランス国内では憤怒の声が国中に渦巻いていることだろう。凶行に及んだISに対する報復の空爆は激しさを募らせている。目には目を!「この恨み晴らさでおくべきか」。血で血を洗う、血みどろの争いが繰り返されてもおかしくはない。現に歴史はそれを繰り返して来ている。

 この状況の中で、フランス人ジャーナリストのアントワーヌ・レリスさんがフェイスブックに載せた“テロリストへの手紙”はひときわ異彩を放っていた。世界中の耳目を集める大きな反響を呼んだ。レリスさんが今回のテロで最愛の夫人を失った渦中の人で、そして幼いお子さんと二人取り残されてしまった被害の当事者ゆえに、彼の言葉はあまりにインパクトがある。

 そして、その言葉を読んだ者は、ある意味、意表をつかれてしまう。
 普通ならそこに、犯人たちを殺してやりたい、と述べられていても何の不思議もない。
 しかし、そのような“血なまぐさい”言葉はレリスさんの手紙には一つもない。
 どんなにか悔しく、どんなに悲しいかは行間から伝わる。でもそれを、レリスさんは最後まであからさまにされることはなかった。

レリスさんの手紙の翻訳の一部を以下に抜粋する。
『 (抜粋はじめ) ・・だから、決して君たちに憎しみという贈り物はあげない。君たちの望み通りに怒りで応じることは、君たちと同じ無知に屈することになる。君たちは、私が恐れ、隣人を疑いの目で見つめ、安全のために自由を犠牲にすることを望んだ。だが君たちの負けだ。(私という)プレーヤーはまだここにいる。
 
 今朝、ついに妻と再会した。何日も待ち続けた末に。彼女は金曜の夜に出かけた時のまま、そして私が恋に落ちた12年以上前と同じように美しかった。もちろん悲しみに打ちのめされている。君たちの小さな勝利を認めよう。でもそれはごくわずかな時間だけだ。妻はいつも私たちとともにあり、再び巡り合うだろう。君たちが決してたどり着けない自由な魂たちの天国で。
 
 私と息子は2人になった。でも世界中の軍隊よりも強い。そして君たちのために割く時間はこれ以上ない。昼寝から目覚めたメルビルのところに行かなければいけない。彼は生後17カ月で、いつものようにおやつを食べ、私たちはいつものように遊ぶ。そして幼い彼の人生が幸せで自由であり続けることが君たちを辱めるだろう。彼の憎しみを勝ち取ることもないのだから。・・(抜粋終わり)』
 
 強い人だと言う以外ない。これほど強くなれるのはどうしてだろうか?“世界中の軍隊よりも強い”とレリスさんが言われるのは本当だ。嵐の中で、懸命に踏ん張っているレリスさんの足が見える気がする。 (了) 文責;島田真樹     

一線を越える話(2)

 とある時、ユーチューブを見ている生徒の数は、こちらが思っているより遥かに多いと気付いたことがある。ネットの浸透は、若年世代では既に完了状態に近いのではないか。ネットがごく普通の生活ツールとなっていることはまちがいない。ほぼすべての生徒がネットに触れて生活している。

 世の中の他の多くの事と同じように、“使い方によっては危険なものとなり、時に身を滅ぼす元にもなりかねない”のがネットとの関わりだろう。例えば“お酒”。あまりにもよく言われる通り、適度にたしなむならば“百薬の長”と言われ、過ぎれば“狂い水”などとも言われる。おまけにそれはやがて中毒化し、生活破綻の元となることもある。

 これはよくわかっていることで、今さら“お酒を飲み過ぎたらこんなことになるなんてよもや知らなかった”などと言う者はまずいないはずだ。しかし、実際にアルコール中毒になる者は少なくない。“キッチンドリンカー”と言われ、家事の合間にお酒を飲み続けて中毒になる主婦が増えていると社会問題化したこともあった。

 “お酒の飲み過ぎはよくない”とは、実は学校ではあまり教えないように思う。少なくとも私は学校でこのことを教えられた記憶はない。これはやはり家庭の躾けが教えるところだ。だが、もっと世の中にアルコール中毒患者が溢れるようになって、様々な社会の機能がよりマイナスの影響を受けるようになるなら、公教育はもっとお酒の呑み方を反復して教えるようになるかもしれない。

 今やネットの普及はお酒の普及以上だろう。だから、学校教育で教科の“情報”がその一翼を担っていると言えば担っているわけではある。それこそ“越えてはならない一線”についてはぜひとも教えるべきだ。ただ、指導の現場の態勢全体はどのような状況にあるかと言えば、あまりこれを強化しているとは言い難い。様々な要因はあるだろう。思うところで、一番大きな要因は意識ではないか。ネットで一線を越えないことがいかに大切かという指導側の意識のことだ。
例えば、キッチンドリンカーならぬ校長先生が校長室で真昼間からちょくちょく酒をあおっているようでは、まちがっても適切なお酒の呑み方など生徒に教えられようはずはない。ネットの教育もまたしかりである。(了) 文責;島田真樹

一線を越える話(1)

 先週、インターネットバンキングの不正送金に使うコンピューターウィルスを販売目的で保管していた中学2年生が逮捕された。報道によるとこのウィルスを『ゼウス』と言うようだ。警視庁のサイバー犯罪対策課によると、この中学2年生は海外の匿名掲示板にウィルスの商品広告を出して実際の商いをしていたという。

その2日後、再び警視庁サイバー犯罪対策課から、同じくインターネットバンキングの不正送金をする際に、中継サーバーというものを使ってネットの接続業者であるプロバイダーへ中継サーバーを不正に接続させた者を逮捕したと発表があった。報道によるとこの中継サーバーというのは、ネット上の住所であるIPアドレスを中継サーバーのものと置き換えて、大元のパソコン利用者のIPアドレスを隠蔽するために使うものらしい。

 後者の中継サーバーを使った者たちは、儲けるため、いわゆるシノギのためにネットの不正接続を使った者たちだろう。利のためには何でもする輩はそこここに居る。ところが前者の中学生の方は少なくとも“食べるために”犯罪ビジネスに手を染めたという風には感じられない。よくはわからないが、おそらくゲーム感覚の“火遊び感”が中学生を動かしたのではないかと思う。

 サイバー犯罪の低年齢化が叫ばれ続けている。摘発者の中で最も多数を占めるのは14歳から19歳の少年たちであるそうだ。ネットの画面に張り付いて、危険な火遊びにのめり込んでいる少年たちの姿が見えるようだ。インターネット上の書込みの匿名性によって、それが負の解放感を呼ぶことは想像できる。しかしそこで、ばれなければ何をやってもかまわない、と思う少数がどうしても出てくるのは残念だ。ある一線を越えるか越えないか、決定的にちがう。

 先に触れた負の解放感が諸悪の根源であるなら、匿名の書込みを禁止するという結論が最も単刀直入な対策とはなる。しかし、それでどこまで抑止できるのか?実際のところ、上記のインターネットの不正送金といった即時、社会全体へ向けて警鐘を鳴らす必要のある喫緊の犯罪案件に関することは、公安はこのように確実に摘発し得ている。つまり、既に完全な匿名性は担保され得ないということかもしれない。本当はわかっているということだろう。

 例えば教育の力によって、一線を越えない良識を育めればそれに越したことはない。ただ、これは一筋縄ではいかない困難さがあるようだ。さらに検証してみたい。(了) 文責;島田真樹
カテゴリ別アーカイブ
タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ