2015年09月

動かしてはならない数字の話(1)

 センター試験の出願締め切りが近づいて来た。毎年10月の声を聞く頃には、いつもながら時間が過ぎるのは本当に早いと思うものだ。今年もやはり例外ではない。さらに言えば10月を過ぎたら一気に世間は年末モードに入る。そして気がつくと早くも新年になっていたりする。かくして、あっという間にセンター試験の前日はやって来る。案外あっけなく受験本番を迎えるのが常だ。

 受験生の不安は、準備の時間が足りないことだけではもちろんない。例えば競争倍率がどのくらいになるのか?このことに関する不安も受験生の頭にこびり付いて離れない。センター試験受験後、受験生達はこぞってテスト会社に自己採点結果を申告する。テスト会社はそのデータを取りまとめ、今度は集計した分析結果を受験生達へとフィードバックする。受験生達は固唾を呑むようにしてその数字を待つわけだ。そして出て来た結果数字を舐めるように見て、自身の志望校受験の可否を最終的に判断する。

 人生の中で、小さい方とはきっとならないだろう決断を受験生達はここですることになる。志望校を絞って最終的に受験校を固めるのだ。これが自身の学生生活を賭す選択であることにまちがいはない。もちろん、成功ばかりがその選択の後に待っているわけではない。落ちる試験もある。しかし、受験を決断した自分自身のジャッジには納得するしかないし、その納得は潔い。

 ところが、もしもその自己採点結果の集計過程にある作為が入って、意図ある修正がデータ数字に加えられていたとするとどうなるか?その捏造の集計データによって、受験校を絞り込んだ末、事前の合格可能性を大きく見誤る形で不合格となった受験生達がいるならば、その受験生達が自身のジャッジを納得できるわけはない。その受験生が改ざんデータに従って志望校を選択した事実を知れば、そのことへの憤怒で血が全身を逆流してもおかしくない。センター試験ではこのような不祥事は起きようはずはない。

 株の取引などで「相場操縦」という言葉を聞いたことがある。人為的に投資家への情報操作をして、株価を変動させることを言うようだ。相場の数字を恣意的に動かすことは禁じられている。それによって利を得ようとすることはもっての外とされる。この禁を犯せば刑事罰を受ける。そのような不公正があってはならないと社会は規定するのである。 

 受験生の出願時に、その出願に関わるデータ数字について、それを意図的に高く見せたり、あるいは低く見せたりする操作が行われているなら、それも一種の“相場操縦”と呼べるだろう。「あっちの水は苦いぞ。こっちの水は甘いぞ。」と蛍をおびき寄せようという童謡があるが、呼ばんかな式に受験生にそんな呼び掛けをするのはあまりに邪道だ。しかも、この“操縦”する者は教育人と来ている。巷間、面目ない状況を指して、どの面提げて、と言う。そのような操縦者が、どの面提げて再び生徒の前に立てると言うのか?もちろん、この禁を破るのは一部の教育人に限られる。圧倒的多数の学校では公正が貫かれている。限られた悪貨が良貨を駆逐しないことを願うのみだ。

 上記のように動かしてはならない数字はある。さらに続ける。(了) 文責;島田真樹

宿題代行と問題漏洩の話

 教育界にとっておかしなことがまた続いた。

 8月末は夏休みの宿題仕上げにねじり鉢巻の生徒も多かっただろう。休み中は遊び呆けて、宿題にろくに手をつけていない生徒もかなりいるだろう。溜まりに溜まった課題を前に、生徒単独ではタイムリミットに間に合わない状況となっていたりする。昔からその場合は親がぶつぶつ文句を言いながら手伝い出す。子どもも繰り返しうんざりするほどの小言を聞きながら、「ちゃんとやっておけばよかったなぁ」とその場は懲りたと思うわけだ。忸怩たる思いというやつである。

 ところが、ここに来てその溜まった学校の宿題を、料金を取って代行してくれる業者が現れている。インターネット上で受注するそうで、その業者はなんでも千客万来だとかで、オーダーストップの盛況であったらしい。さもありなむ、とは思うものの、作文なら子どもが書いたような文体で仕上げ、工作もそれ風の出来上がりにするとかで、まことに行き届いたことであるが、そこまでを生徒や保護者がお金で買うというのは、やはりおかしい。中学受験の対策に忙しい中受生が多いという。中受の合否が心配なのはわかるが、この行いの生徒への悪影響が心配ではないのだろうか?

 もう一つ。宿題代行あたりはまだ笑い話で一笑に付す人もいるだろうが、先日明らかになった司法試験の考査委員となっている大学院教授が、教え子に自ら作問した司法試験の本試験問題を、事前に生徒に漏らして教えていたという事件は洒落にもなんにもならない。ものが司法試験だけに、国家公務員法の守秘義務違反で東京地検特捜部に当該教授が摘発されたというのは、呆れて開いた口が塞がらないというやつだ。若い女性の教え子だとうことらしいが、そんなことかと疑いが残る。教授は懲戒免職となったようだし、教え子も今後5年間の受検禁止処分となったそうだ。身から出た錆であって、やむを得ない処分だ。

 仮に今回の試験問題漏洩事件が露見せず、首尾よく当該の教え子が司法試験に合格し、その後、無事に法曹界に職を得たとして、何の仕事をするつもりだったのだろうか?司法にも取引があるやに聞くが、その取引は法を犯すものではあるまい。結局は、この教授は教え子の法曹人生を奪ったわけだ。露見しようがしまいが、ルールを無視して、禁を破って問題を教え子に漏らした瞬間に、その教え子の法曹人生は奪われ、つゆと消えていったはずである。

 これらを聞いて、教育よどこへ行く、と嘆く人もあるだろう。教育の世界に居る者にとっては、そのようにうそぶいてなどいられないような恥ずかしい話が続いている。(了) 文責;島田真樹
 

第一声の話(6)

 組織の構成員にいわゆる“公然の秘密”を課して、隠然とかん口令を強要するようなことは、経営トップとして堕落以外のなにものでもない。組織にいる誰もが見知っていることを、誰もがアンタッチャブルにせざるを得ないというのは構成員の倫理観にとって非常に重い負担でしかない。“黙殺しろ”と言われているのと同じで、それは悪事に加担する感覚を構成員面々に呼ぶのである。

 やがてその“公然の秘密”に触れられる恐れが出たからと、組織から誰かれを排除する動きに出るなどは、最低の権力濫用であって経営ではない。そもそも人の道に悖る。“畜生働き”とは、時代物で盗賊が盗みで人を殺めることを言うらしいが、まずその伝である。この行状では組織の秩序は大混乱に至る。当然、これが抛っておかれるわけがない。一部始終を目の当たりにせざるを得ない面々から第一声が挙がるべくして挙がる。そして結局、その手の者は放逐されることになるが、その本質はすべからく自滅である。

 “公然の秘密”とは、在るものを無いものとすることであり、つまり在ることを無いと偽ることである。偽った内容によっては、それが法に触れる懸念を生じる。それは断じて漏出させられない。例えばそれがインターネット上等で漏れ出すことは致命傷となりかねない。その恐怖ゆえにインターネットへの監視を組織的に徹底的に強化しようとする。逸脱した書き込み者を強力に糾弾しようとする。このことは外敵への応酬でもあるが、その実、組織の内部への牽制であり、すなわち見せしめによる当該組織内部への口封じでもある。しかし、理の当然と言えば当然なのだが、公然となっているものがいつまでも秘密であり続けることはない。

 また、上記にあるような排除された犠牲者がある限り、当然の如く次に第二の声が挙がる。そ知らぬ顔でなぜ平然としていられるのか?とその声は問うのである。何を行ったか忘れたのか?とも問う。被害を受けた犠牲者には、おいそれとは消せない念があるということだろう。ゆえにその“第二の声”もおいそれとは消えないのである。犠牲者は救済されなければならない。そのために事実を問う必要があれば、それを明白にするまでである。坦々と事実は明かされる。動かない事実を明かすに時間は要しない。

 組織を崩壊に至らしめるのが人なら、それを護るのも人だ。件の公然の秘密を課した経営トップが、その状況を自ら更正したならば、それによりその者は破壊者から転じて組織を護る者となったはずだ。その瞬間、自らは組織の歴史を更正した者となれた。そういう護り方はある。そこからそのトップと共に当該組織の秩序は甦った可能性もある。そしてその者が犠牲者に手を差し伸べたなら、やがて時間の経過と共に組織が回復する可能性はけして小さくはない。その経過の中で少なくとも組織を護ったという誇りはその者に残ったはずだ。その誇りこそが経営者の誇りではなかったのか?

それを忘れているのか、それとも失ってしまったのか?大きいのはここである。(了) 文責;島田真樹
 
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