2015年03月

sincerely yours の話

 選抜高校野球は早くも準決勝、決勝を迎えた。この大会から新学年で選手のプロフィールが紹介されるようになる。夏の選手権大会と比べると、選手の姿になんとなくではあるがフレッシュ感が漂っている気がする。夏の選手権大会では体格も全体にもう少しどっしりする。これからの4ヶ月で相当に鍛え上げられるということだ。丁度1学期間になる。このくらいの年令の青少年にとって3ヶ月、4ヶ月というのはもの凄く大きな心身の変化をもたらすわけで、『三日会わざれば剋目して見よ』と俚諺が言うのももっともなことだ。

 ごくごく当たり前のことだが、高3の4月から野球を始める者がいたとして、その新人が同じように夏の大会前までに猛烈に成長を遂げるかというのは疑わしい。もちろん成長はするが、その速度はずっと野球をやってきた高3生よりは遅いのではないだろうか。個人差が様々ある事柄ではあるので、中には特筆すべき成長を果たす者もあるかもしれない。ただ、多くは遅々とした成長に留まるのではないだろうか。

 ある線を越えなければ、成長のラッシュは始まらないものと思える。この線は色々な分野の習熟過程に必ずある。なにか取り組み始めての初期の100時間をそのように位置付けている学説がある。思い当たるところではある。この100時間は継続的にアプローチしなければ越えられない線だと言う。つまり、途中で放り出すと振り出しに戻るというわけである。ある意味で初心者にとっての壁だ。下手をすると打ち返されてしまうからだ。

 『ようやく芽が出て来た』。よく成長段階が進んだ時にこのようにその様子を称する。つまり“100時間をクリアーした”ということだ。芽が出るまでの、あたかも何も変わらない空白の時間をクリアーしたわけだ。一旦芽が出ると、今度は比較的早く目に見えた成長を辿るようになる。諸々の取組みの習熟過程にも、やはりこれはある。高校球児が春から夏へめざましく成長するのは、その春までには既に芽が出ていたからであり、”線”を越えていたからだ。

 この芽が出るまでの、始まりの準備のような時間に、講師の仕事があるのだろうと思う。この段階が一番難しい。昔の親方と弟子の時代には、ある意味スパルタ一本で、有無を言わさず件の100時間を押し切らせたのかもしれない。徒弟制の時代でなくなって既にどのくらいが経ったか。有無を言わさないというのは禁じ手だ。それは安易である。

英文の手紙の最後に、“敬具”の意味として、sincerely yours となっている場合がある。sinserelyという副詞は『心から、真心こめて』というような意味だ。感じのある響きの言葉だと思う。元々の意味とはずれるけれども、芽が出るまでのあたかも空白と見える時間には、一つ一つメッセージを---sinserely yours.と言いながら送り続ける者が傍らに必要だと思っている。けして複雑なことではない。それだけでもよいのかもしれない(了)

 

公園の老紳士の話

 桜が咲き始めた。もう桜の季節になったのかの思いがしきりだ。本当に早い。桜と共に入学式、入社式がそこまでやって来た。みんな、また新しい生活が始まる。桜の咲く頃を旅立ちの季節に選んだのは誰だったのか?思えば、この花は旅立ちに誠に似つかわしい。一気に圧倒的に咲いて、そして瞬く間に葉に戻るのが何ごとかが始まるにはぴったりだ。咲き始めたばかりでなんだが、葉桜のよさというのが桜のよさにはもう一枚ある。

 先日、近所の老婦人と話をする機会があった。なんのことはない四方山話をするだけだが、私はそんな話が嫌いではない。ものの10分も話してはいないのだが、折にふれ、なかなかによい話を伺うことが多いのだ。この前もその老婦人からこんなことを聞いた。その老婦人のお知り合いの老婦人が公園でベンチに座っている時に、ふっと隣に老紳士が立っていたのだという。そして、その老紳士は『くよくよ考えるからよくないことが起きてしまうのだよ。何事もよい方に考えれば、やがてその通りになるものだ。』そんなことをそのお知り合いは言われたそうだ。どうもその方は悩み事をベンチで考えていたらしい。『なるほどそうだった。』そう思ってもう一度その方がその老紳士の方に目をやると、そこにはもう誰もいなかったという。

 そのベンチの横には比較的若い桜の木があったのだそうだ。老婦人の曰く、その紳士は桜の精だったと言うわけだ。もちろん真顔で話してくださったことだった。桜にはそんな力があると思わしめる、という素朴な思いが私もあったので、この話を聞いて私は少しにやりとしてしまいそうにはなったが、しかし、実際にいたのかというよりも、いてもよいのではないと思った。桜の精の言葉であったよい、そう思ったのだ。

 二人の老婦人にはわかっている。しかし、それを聞いた私には本当のところわからない。ただ、わかりたいとは思っている。老婦人に話を聞いて、その話に出た小さな公園に通りかかった時に、なんとなくベンチに実際に座って見けれども、やはり自分の横にはその老紳士は現れて来なかった。当然そうだと思っているが、しかし、まぁ座ってみるか、と座ったことも事実だった。そこに若桜は確かに咲いていた。

 信じるとは何か?ということが、老婦人の話から少し見えた気がこの時はしたのだ。みんなが新しく旅立つ時が近づいて来たけれども、その旅路の先に例の老紳士が立っているのかもしれないし、いややっぱりいないかもしれない。歩いてみないとわからないが、多分いるのではないかな、というぐらいには思って誰もが歩き出すわけである。桜はそれを見送ってくれるのではなく、ひょっとして待ってくれるのかもしれない。待っているぞ、と足早に去って行くのかもしれない。(了)

 

“仰げば尊し”の話

 先週、今週と学校では卒業式がたけなわである。卒業式帰りとおぼしき親子をここのところよくみかける。自分のことになるが、二人の子どもの卒業式には、自分はすべて出席してきた。なにか、卒業式が来る度に、これは行っとかなきゃと思うわけだ。そして、そういう時に塾の講師の仕事は午前中の時間が融通しやすいので、比較的出席しやすかったことも皆勤できた理由ではある。出てみると卒業式はやっぱりいいものだ。

 中学の頃、普段はことあるごとに鬼の形相で生徒を叱る先生がいた。何度か自分も怒られたことがある。おっかない先生だった。公立学校は異動があるので、その先生は2年間の付き合いだったが、とても印象に残る先生だった。いつも生徒であるわれわれを叱咤激励してくれたのである。先輩学年の卒業式の時のことが思い出される。日頃、鬼の形相のこの先生は、式の最初から早くもハンカチを取り出して、そして式の間中、その学年の担任ではなかったのだがずっと泣きじゃくっていた。日頃の姿とあまりにギャップがあったが、子ども心にも変な先生だとはまったく思わなかった。

 あれは卒業式の雰囲気だったのか?その先生は本当に式の最初から泣いていた。それともこの日だけは教師は泣いてよい日と思っていたからだったか?ゲンコツまでは張られなかったが、今思えばその先生は軍国少年だったのだろう、先生に怒られる時には生徒は直立不動の姿勢を取らされたものだった。先生は“仰げば尊し”の斉唱の間は、自ら直立不動で涙を流していた。自分はその姿にちょっと感動したのを覚えている。

 “仰げば尊し”は名曲である。ピアノの伴奏がこれほど似合う曲はないくらいに思える。文語調の歌詞だから、子どもの頃にはあまり意味がわからないフレーズがあった。たとえば『思えばいととし、この年月』あたりは、“いととし”がわからずにいた。実は“いとしい”と長らく勘違いしたままだった。また、『今こそ別れめ』の“め”がわからない。係り結びということに気づいたのもかなり後だった。ところが不思議でもあるのだが、このよくわからないこのあたりが、この曲で一番心に響くのである。『思えばいととし、この年月。今こそ別れめ。いざ、さらば。』。あの先生だけではない、曲がこのあたりに来ると、女子生徒も保護者も男子の一部も泣いているのだった。

 しめっぽくて嫌だという向きの人もいるだろう。しかし、自分はこの曲を歌いながら万感こみ上げてくる自他の様子を感じることが嫌いではない。もしかすると、子どもたちの卒業式を休めなかったのは、この“仰げば尊し”を聞きたかったからではないかと思っていたりする。案外、本当にそうだったのかもしれない。(了)

 

ラストスパートの話

 一昨日早くもJリーグが開幕した。ほどなく選抜高校野球やプロ野球も開幕する。毎度同じことを言うようだが、本当に時間の経つのは早い。そう言えばひな祭りも終わってしまった。歌の文句のような風の寒さについ忘れてしまいそうになるが、もはや春が来ているのである。毎年、毎年、同じようにわさわさとなだれ込むように春に突入する感じがしているが、やはり今年もそうなった。

 塾、予備校など教育産業では、2月、3月で新事業年度に入るところが多い。ほとんどすべての事業者と言ってよいくらいだ。しかし、この2月、3月では卒業学年の生徒たちの入試結果が出切っていない。だから、理屈上は過ぎ去った前年度がまだまだ終わっていないので、新年度への気持ちの切り替えがとてもしにくい。受験対策は冬が佳境だから、合格発表が終わり生徒たちの進路が全部決まるまでは気持ちの上ではまだ冬のままだ。

 だから一昨日のJリーグの開幕にはわかっていても驚いてしまったわけである。繰り返すが、なにしろまだ入試の合格発表は残っている。そして進路が決まっていない生徒がまだかなりいる。3月の初めというのが、実は一番落ち着かないのだ。落ち着かない上に緊張が続いている。4月になればすべて終わっているだろう、例年そう思いながら三月をなんとか走り抜けてきた。

 マラソンで言う、ロードから競技場に帰ってきたあたりが今時分なのだろう。そして、ここからの最後の踏ん張りが実際に大事だ。フォームを崩さずに、あくまでもラストのスパートを緩めずに、ゴールラインを駆け抜けるとしようか。あと少しだ。(了)



キングとレジェンドの話

 先日、ジャンプ競技の葛西紀明選手とサッカーの三浦知義選手の対談をTVで観た。この二人は誰もがよく知る、それぞれの属するスポーツ界において日本人最高齢の現役プレーヤーだ。葛西選手が42歳。そして三浦選手が47歳。ジャンプの選手は30歳を越えると、もうそろそろといった空気があるそうだし、サッカーもほぼ同様のようだ。ともに瞬発力を要する競技ゆえに、競技選手としてのピークアウトが早いわけだ。その世界で今なお日本の、あるいは世界のトップレベルの舞台に立っている二人は、ある意味、超人と言える。

 その超人ぶりに敬意を表して、葛西選手にはレジェンド、三浦選手にはキングと二人を呼ぶ人はその称号を冠するようになっている。上記の対談はレジェンドとキングの凄い対談だったわけだ。確かに凄い選手たちであって、葛西選手にいたっては、記憶に新しいところで昨年のソチ冬季オリンピックで個人、団体ともにメダルを獲得している。まさに世界の超一流のさらにその最先端にまだ立っているということだ。三浦選手もまだまだJリーグの現役続行を宣言している。年々、Jリーグの選手のレベルは底上げされているように見え、チーム内の競争が激しさを増していると思えるわけだが、まだまだ後進にポジションを譲るなどとこれっぽっちも思っていないようだった。

 対談の肝になっていたのは、このような両名の活躍ぶりではなかった。そこにではなく、実は両名ともに厳しい挫折を経験し、そこから見事に這い上がってきたことに番組は焦点を当てていた。二人はともに1998年に大きな屈辱にまみれる経験をしているのだ。その年の長野オリンピックのジャンプ団体は金メダルを獲得したが、その金メダルメンバーから葛西選手は直前ではずれてしまったのである。ただでさえ厳しい受け留めがたい結論だが、さらにチームが栄光の金メダルを獲得したことによって、かえって葛西選手の屈辱感は深まったわけだった。一方、三浦選手も同年のフランスワールドカップの最終メンバーに残れず、緊急帰国した経験を持っている。当時はJリーグを牽引してきたとさえ言える存在感だったのだから、その屈辱感は計り知れないものだったろう。

 対談では、二人は口を揃えて1998年の痛恨の屈辱があるからこそ、今の自分があると言っていた。そのことを思い出すたびに、新たに闘志に火が点くというのだった。なぜ、二人は腐らなかったのか?その秘密がさらにぜひ知りたいと感じた。三浦選手は現在も『もっとうまくなるために明日とんな練習をするか、それしか頭にない』という意味のことを言っていたと思う。この前向きさはどこから来るものなのか?自分をけして捨てていないことが二人に共通している。捨てると捨てない、の分かれ目は何だろうか?
 今まさに、生徒たちは入試の合否結果に直面している。結果はどうあれ、生徒たちが自分を見失わないよう、まして自分を捨てないよう祈ってやまない。(了)

 
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