2015年01月

生きがいある老年の話

 世界は激しく動いている。IS国に囚われの身となっていた日本人の1名の方が処刑されたかもしれないというニュースが飛び交っている。痛ましい。人の命を政治的に奪うということは、それこそが戦争の為せる業であり、日本は戦争に巻き込まれてしまったということなのかもしれない。一体、何のための戦争なのか?実は、自分などは何もわかってはいない。わかってはいないが、現実の戦争はすぐそこに迫って来ている。そういうことではないかと思う。

 学ぶべきことを学んで来なかった悔い、そして、いまだにそれを改められない忸怩たる思いが今ある。同じ時代に、世界のどこかで戦禍に倒れる人々がいる。思い起こすと、自分が生まれてこの方、常にそうであった。しかし、なぜ、何の恨みもない者までを殺すような戦争が行われているのか?さしてわかろうとはしなかった。人類の歴史は、戦争の歴史なのかもしれない。今にしてそう思うわけだが、では、なぜずっと戦争をやめられないのか?これにも手がかりを持ち合わせていない。

 戦争は経済活動である、という見解を聞いたことがある。消耗する武器や、施設一般の生産活動であり、また、喰えないから兵隊になる人民が後を絶たないという側面などを言っている。ここに真実もあるだろう。しかし、本当のことはわからない。

 老人のことを考えている。ばりばり稼ぐ時期は過ぎている。惚れた腫れたも、子育ても終わり、静かに日々を送っている。いや、静かに日々を送りたいと願っている。しかし、手足が思うにまかせない。耳が遠くなり、目もかすみ、今しがたのことの記憶も薄くなっている。思うように歩けず、トイレに行くのさえ苦労し、オムツを付け、風呂には他人掛りで好きに入れず、食前にも食後にも大量の薬を飲む。かてて加えて、十分には眠れない。切れ切れに起き上がる。そして、眠っているだけなのに、どこかしこが時に激しく痛む。そのたびに思わず呻き声が漏れる。

 そのことに直面している老人の生きがいについて考えている。所謂、ただお迎えを待つだけの終末ではない、はっきりと縁がくっきりする老年の日々はどうしたら実現できるのか?よくわからないけれども、何かないか、気になっている。とてもまだみつかない。
より稼いで、より豊かに、組織なら大きく、強く、そう思う人情の一部が戦争を生んでいるのかもしれない。もうそんなに豊かにならなくても、大きくも強くもなくていいけど、老年時代を洋々幸福に過ごせるなら、もしかしたら、やがて戦争をしなくなる日が訪れるかもしれない。。脱線気味にそのようなことを考えながら、答えを転がし続けて探している。(了)

 

一部難しかったセンター試験の話

 土日でセンター試験が終了した。なんでも今年の試験では数Ⅱ、数Bがとても難しかったようで、終了後、受験生から絶望の声がツイッターなどに随分寄せられたようだ。試験の作問には、教科によってちぐはぐが出たり、偏りが出てしまうことは大なり小なりある。しかし、それにしても難し過ぎるのは頂けない。まず難しい試験問題を、試験会場で解かされるのは苦痛だ。受験生が残したツイッターの絶望感はなにかわかるような気がする。

 ここのところ、時代の役割を終えたように言われることの多くなったセンター試験であったが、ここで、とある作問者が存在感を示そうとしたという説は立たないのだろうか?もちろん深読みではあるが、ちょっと匂う気はする。中途半端は止めて、本領を発揮してやろうではないか!などと思う作問者がいたとしたら、考えは違うが、その気骨は認めるにやぶさかではない。

 考えが違うというのは、試験というものの捉え方のことになる。ずっと、日本では試験とは受験者の一群の中から優秀者を選び出すもの、という考え方が背骨にあったように思える。つまりエリートを引っ張り出す機会としての試験だ。立志伝中の人物というのは、誰もみな勉学に勤しむ者達である。そして“笈を負う”などと言って書物漬けになって勉強することを社会が尊んできたのだろう。その中から出てくる英才を嘱望したわけだ。

 そういう試験はとっくに時代の使命を終えたと思っている。それではない。試験は、むしろ落第の予防と排除がその任だと思う。つまりオーディナリーの維持である。“普通”を守るために試験はある。既にそうなっている。なぜそうなったのか?直感的な物言いしかできないが、それは、知価というか、知識への崇拝というようなものが、世の中からはっきり後退したからだと思える。知価が大暴落したわけである。ペーパー試験の類は、それで値打ちが二束三文になってしまったのだろう。

 だから、たとえセンター試験が超難問になっても、時代はもう後戻りはしない。東大の栄光とか、もう誰も本気では聞かないし、中には聞いて苦笑する者さえいるだろう。情報革命の時代にあって、それほど知価は暴落したのだ。それがよかったことか、悪かったのか?答えが出るにはもっと時間が掛かる。まぁ、暴落という言い方も正確ではない。実態より理屈抜きに高くなっている特殊銘柄が、相場の中で落ち着いたと言う方がそれらしいかもしれない。

 この先、どうなるか?わかっていたら苦労はない。先のことはわからないが、今の変化はある程度わかる。そうしてどこへ行くのがいいのだろう?(了)

ご隠居さんにはなれない話

 今年の正月は、浜松の義父のもとで三が日を過ごした。その昔、子どもが小さい頃は、正月は必ず浜松に帰省したものだ。それは、多くは子どもたちが帰りたがったからだった。何よりおじじ、おばばがとても孫を厚遇するものだから、まぁ、それに味をしめたというやつだ。そして、年の近いいとこ達と存分に遊べるというのもある。さらに言えば、電車好きのうちの坊主に限っては、浜松まで新幹線に乗れるからというのもあった。色々と愉しみがあったのだ。

 ところが子どもが長ずるにしたがって、どことなく足が遠のくようになって、ついにはポツリポツリしか行かなくなっていた。いとこは子供時分のように無邪気には打ち解けない。少しよそよそしくなっている。特に男の子と女の子のいとこ同士は話し出すまでかなり時間がかかる。こういう様子を見るにつけ、人の意識というのは厄介なものだとつくづく思う。いつまでも無邪気ではいられない。無邪気とはほとんど無意識に近いだろう。そうやってなんとなく大人になってゆくわけである。

 それからもう一つ。これもやむを得ないことだけれども、義父も随分と年を拾った。一族の長というか、それこそ“親父然”としていたものだが、この頃は好々爺然となって、纏っている空気が変わった。それもそのはずではあって、義父は昔で言うところの“ご隠居さん”の年令にとうに達しているわけだ。しかし、その子どもたちは各々家庭を別に持ってしまい、つまり、義父はご隠居さんになりたくても、いつになってもなれない事情となっている。考えてみると、ご隠居さんなるものは、当節の日本から消えたものの一つなんだろう。

 つまり、代替わりができずにいるということだ。そんなこんなで、親が子に伝え、子が孫に伝える、そういうものがひどく少なくなっている。義父は今でも親父であろうとしているが、しかし、時は流れてしまった。義父は身代を義兄に伝えるべきだったのか?そうであるとも思えるし、家も何も時流が違ったと言わざるを得ない気にもなる。いずれにしても、ここで何ごとかが絶えそうになっているのは事実だ。

 教育なんてことの原点は、親が子に伝え、子が孫に伝えてきた、命のリレーになにか深い関係があると思える。ところが、例えば、世代が隔絶して、ご隠居さんになろうにもなる術のない世の中で、本当の意味で教育は存在できるのか?考え始めたら止まらなくなってしまった。どうもこの先、教育が機能の強化を求められる時代がやってきそうな気配はするのだが、強化もなにも、そもそも現在、教育はゆらゆら揺らめいている短くなった蝋燭の炎のようになっているのではないだろうか。さて、こいつをどうするか?腹を据えて見極めなくてはと思うばかりだ。(了)

 

『これぞ!』を見出す話

 2015年は平成27年である。改めて、平成も随分と年を数えたものだ。大学でうろうろしてしまい、卒業単位がなかなか貰えなかったがため、自分の社会人生活は遅れ加減に始まっている。やっと正業に就けたのがその平成元年だった。なんとか自分で食べるようになって今年で27年目を迎えたわけだ。平成は、そのまま私自身の社会人歴そのものである。

 27年経ったというのであるから、そろそろ『これぞ!』と言える、決定版となるような仕事が残せないものか?ちょっと本気で思ってみている。自分なりでよい、自分が納得できる『これぞ!』をなんとかひねり出せるよう、狙ってみたい。何が残っているか?今年の大晦日に確認することにしよう。今年は少しせわしくなってよい。歩いてはいられないだろう。ギャロップで『これぞ!』に迫って行くことにする。
さて、走るか。(了)

 
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