2014年11月

大鵬を越えた話

 長野県の白馬を中心に震災があった。思った以上の被害ということだ。心よりお見舞い申し上げる。震源地の一帯は、有数の活断層上にあると聞く。家屋が倒壊しているニュース映像を見た。本当に潰されていた。そのような中、被災者の方々の助け合いにより被害が最小限に留められたとも伺った。先祖代々、そうやって災厄を乗り切って来られたのだと思う。イギリス人に言われるまでもなく、これこそがall for one。そしてそれは実際に困難を越えてゆく力があるわけである。自分だけ助かればよいというどこかの沈没船の船長の話とはまったく異なる。聞いて勇気が湧いてくる話だった。

 さて、話題は大相撲の横綱白鵬関の九州場所の優勝のことになる。ついに、あの大鵬の大記録に並んだわけである。大鵬の最後の優勝は、自分が小学校3年の時だった。なんとなく覚えている。田舎育ちであり、仲間とよく相撲を取って遊んでいた相撲小僧であったので、大鵬の強さには憧れ以上の尊敬の念に似たものを持っていたと思う。その後、大鵬の引退した後にも何人もの横綱が登場してきたが、大鵬ほどの大横綱は現れなかった。肉薄したかに思えた千代の富士などもいたわけだが、しかし、大鵬に並ぶまでには至っていない。

 それを、ついに白鵬は並んでみせたのである。もちろん時間の問題とは思っていたが、今場所実際にその場面に立ち合って、40数年間の溝が埋まったような気がした。あの強かった大鵬が甦り、白鵬と二人相並んで立っているかのような感覚に一瞬なった。伝説が生まれた瞬間だ。

 四股名の『鵬』の字が示すように、白鵬は大鵬を相撲界の父と仰いでいる。32回目の優勝を決めた瞬間、白鵬ははっきりと涙ぐんでいた。師と並んだことで恩返しができたからだとインタビュアーに答えていた。尊敬する師と並び立つことのできたことの感動は計り知れず深いのだろう。本当の師が在ってこその弟子の大成がある。大鵬在ってこその白鵬だったのだろう。

 余談だが、白鵬は今回の優勝インタビューでは母国のモンゴル語でかの国のテレビ桟敷のファンに挨拶をした。師に並んだ万感の思いを伝えたかったのだろう。一方で、同じインタビューで白鵬は明治の断髪令の後も相撲のまげが残ったことにも触れ、日本の魂と相撲の神さまが認めてくれたので今の自分が在ると語ってもいた。とてもよく勉強していることがわかる。そしてある意味、日本人よりも日本人らしい。

 生徒が、いつか並びたい!と思ってくれるような先生でありたいものだ。どんなにか難しく稀有なことか身に染みてわかっているのだが、しかし、尚、かくありたいものである。そのような存在はなかなかいない。世の中から失われた感すらある。社会学で言うアノミーのような師の喪失の時代の感が濃厚だ。だからというか、白鵬の涙は新鮮だった。あれは師への感謝の涙だ。次は白鵬がその師となる番だ。但し、白鵬といえどもそれは簡単ではないだろう。(了)

 

近大マグロとバイオコークスプロジェクトの話

 近畿大学というと、その昔は相撲部とか水泳とか強いスポーツ部がある大学というイメージがあった。骨太というか、体育会系の校風があるのかな?くらいのイメージをなんとなく持っていた。その名の通り、近畿地方にある大学である。自分は元々、西日本の人間であるので、高校時代の学友の中には近畿大学を受験した者もいた。ただ、あまり目立たない学校という感じを、自分も周囲の仲間たちも持っていたと思う。

 あれから時が随分と流れたわけだが、とある時、有楽町駅界隈を約束の催事場めがけて歩いている時に、JR線と高速道路の近くに『近畿大学水産研究所 銀座店』というマグロを食べさせる店に行き当たった。あまりに意表を突かれたので、驚いてこの店の名を覚えてしまったわけだ。なんでも、近大の水産研究所が養殖したマグロを、飲食系の民間会社とタイアップして、お店で食べさせるのだという。世に“男子三日会わざれば剋目して見よ”と言うが、近大に30年方お目にかからなかったうちに、近大は見違えるようなエンタプライジングな学校になっていた。

 そして、この頃では『バイオコークス』の近大となっているらしい。先日、TVの情報番組で特集していた。観て、本当に仰天した。なんの変哲もない作業場のようなところで、案外にさっぱりとした装置を使って、なんと茶がらが、1時間ほどでコークスに化けた。茶がらは、生物由来の有機資源、すなわちバイオマスなのだそうだ。ややこしいが、茶がらは、茶がらであるものの、同時にバイオマスという資源ともなるというわけだ。その出がらしが、本当に1時間でコークスになった。これを『バイオコークス』と言う。

 自然界で植物の化石が石炭になるには3000万年かかる。気が遠くなる話だ。3000万年前の植物を石炭と言ってわれわれは手にしているわけだ。その石炭をさらに蒸し焼きにして不純物を取ったものをコークスと呼ぶ。製鉄炉などで使う燃料である。それが、わずかに1時間!!1時間で本当にコークスになった。しかも、このバイオコークスは、作り出すために使ったエネルギーの100倍以上のエネルギーを生み出すというのである。びっくりして、口から舌が飛び出しそうだった。

 これを開発したのは、近大の井田教授という方だ。TVには井田教授が出演されていて、インタビューを受けていた。こういう大発明をする方に往々にしてある飾らない素朴な人柄と見受けた。そして、“なぜ、バイオコークスの開発を目指したか?”というテレビの質問に、『この発明で世界のエネルギー問題を解決して、戦争にきりをつけたいからだ。』という意味のことを言われた。すごいことを気負わず、むしろ坦々と言われる方だと思った。さらにすごいのは、本当にその実現を可能たらしめようしている点だ。


 コストと言って、元は茶がらだ。また、ここが味噌なのだそうだが、加熱温度はてんぷらを揚げる時と同じ180℃なんだそうで、とてつもない大掛かりな仕掛けはいらないようだ。原発のような放射能の心配もない。比較的低コストで、比較的簡単に、そして安全に燃料を作り出してみせてくれた。確かに利権争いも起きそうにない。本当に無用の戦争のうちのいくつかがなくなるかもしれない。


 近畿大学の『バイオコークスプロジェクト』は、世界に冠たる研究をしている。世界中が期待する研究成果だろう。まさにインターナショナルだ。国際的に通用する内容がある教育が国際教育だと思う。どうもファッションのように国際教育という言葉が使われているのを見かけるが、英語学校ということではないだろう。世界に通用するとは、抽象的にではなく、バイオコークスを産み出し得たような内実があることという風にこれからは捉えることにした。“寒山拾得”のような、でも本当の話だった。(了)


三回忌の話

 今週の14日は、私にとって尊敬する同僚だった方の三回忌だ。お亡くなりになってから丸二年が経った。何かの拍子に、もしもご存命ならこうだろう、ああだろうと時々思うことがある。あるいは、ふとあの時はどんな思いに駆れておいでだったのだろうか?と考えることもある。大きい存在であったことは間違いない。ゆえに、失ったものが大きいものであることもまた間違いない。

 私学の先生をしておられた。先生先生した先生という言葉が思い浮かぶ。生徒・保護者からはもちろん、多くの教職員からも敬愛されていた。人の色々のことをすぐに洞察され、深く受け止められ、そして、さりげなく気遣われた。いつも人懐っこい笑顔を絶やされず、先生の周りには、至るところで話の華が咲いた。私もどれだけ教えを受けたかわからない。

 先生は、実際に多くの教職員を護ってくださった。邪なものは世の中方々にある。先生は生徒をそれから護って来られた。そしてあの頃は、先生は多くの教職員を懸命に護ろうとしてくださった。自分の利得のために、他人を平気で踏み台にできる者もいるが、そんな時、先生はその踏み台を自ら買って出られるような方だった。なかなか真似はできない。

 あっという間に、先生を襲った病は命を侵していった。病名がわかってから闘病は1年続かなかった。今、気になっているのは、先生は伝えるべき人に伝えたい思いを残すことがおできになったろうか、ということだ。もしも私が同じような立場になったなら、例えば家族に何も伝えていないことに慄くはずだ。あの頃、先生がどのような思いを持たれていたかはもう知ることはできない。

 先生に護ってもらった者たちは、そのことを忘れるべきではない。また、忘れられようはずもない。すごい先生だった。(了)

 

文化の日の話

 文化の日。3連休の最終日は好天に恵まれ、久々の行楽日和となった。東京は爽やかに晴れ上がり、空気が軽く感じられ、それだけで外向的な気持ちになれた。子供連れの車が、高速で大渋滞になっているニュース映像が流れていた。これが日本の庶民の文化なのだと思う。

 日ごろクタクタの父親も、ある種の義務感を交えつつ、家族サービスに勤しむわけである。日ごろ、しまり屋の母親も、たまの行楽には財布の紐を緩めて、少しばかりの散財に目をつむってくれる。子供たちは、それなりに愉しみながら、しかし、疲れ果てて帰りには早々に寝入ってしまう。起されると、ぐずりながら親にとことこ付いて行く。これはやっぱり文化だろう。

 戦前は、この日を明治節と呼んでいた。明治天皇の誕生日を祝う日であったのだ。天皇誕生日を天長節と呼んでいたようだ。昭和一桁生まれの方くらいまでは、この明治節、天長節が生きた言葉の記憶として残っておられる。その日を戦後、新憲法の公布日として選んだのは、敢えて選んだということだろう。明治節を憲法公布日として、それをその後、文化の日としたわけだった。

 文化の日とは、文化を変える宣言の日ということだったかもしれない。戦後、アメリカを中心とした欧米文化の洪水に呑み込まれて、確かに日本の文化はどんどん様変わりしていったわけだ。当節はグローバリゼーションと言う。猫も杓子もというと怒られそうだが、知ってる人も知らない人も口々にグローバルと言う時代を迎えた。ワールドバリューズという言い方もある。変わり続けているわけだ。

 家族でドライブ。今や、この風景は世界中のどこでも見受けることなのだろう。大きな捉え方では、段々と文化は同質化しつつある途上にあるだろう。ここまで来てしまうと、もう逆戻りはできないのではないか。文化の日を再び明治節と呼び直すようにはならない。ただ、そのような動き方がないわけではない。だが、それは無理があるのだろう。

 文化には色々な物が詰まっている。よく言われるようないいものばかりが詰まっているわけではない。それもあるが、これもある。浮つかない見方が、文化を考える時には大事だ。はやりすたりの底にある物を見ておくことが次に繋がる気がする。(了)

 
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