2014年03月

前夜の話

 平成26年3月31日は、否が応でも後世の歴史に残ってしまうだろう。もちろん、歴史教科書的に本当に刻まれるのは明日の4月1日なのだが、その変わり目の前夜も、時代の節目として記憶に留まる日となるわけだ。ご存知、消費税の新税率がいよいよ明日から始まる。8%時代の始まりだ。すなわち5%時代の最後の日が本日3月31日である。名残惜しいと言うべきか?名残惜しいなんてものではない。一つの時代が終わる日かもしれない。

 平成デフレ不況と言われて久しくなってしまった。プラザ合意、バブル、デフレとめりめりと地面にめり込むような長期不況が続いている。さすがに今となっては、もはやバブル時代の記憶は薄くなってしまった。バブル時代、それはそれで病だったかもしれないが、それでもあれだけ景気が良かった時代もあったのだ。まさにバブルは遠くなりにけり。それにしても、デフレ経済下の増税は封印すべき禁じ手と、経済学は説くというのだが。

 The last straw breaks the camel’s back. 例のラクダの背中に藁一本というやつ。最後の藁一本がラクダの背中を折る、というわけで、既にぎりぎりまで藁を積んだラクダには、それが限界なので、その限界を藁一本分でも超えたなら、最後の踏ん張りが脆くも崩れ去り、たちまちラクダがくず折れてしまうという箴言である。言い得て妙なり。

 160%アップと言うと、重税感がより具体的になる。5%から8%へ上がるとは、3%の上積みであるけれども、それは1.6倍になるということだった。これは無謀なことではなかろうか、とつい素人でも考え込んでしまう。この負担感から庶民の間に皺寄せ感も拡がってしまうのではないかとも感じる。まずは庶民である自分がそうだからだ。

 生徒たちは、新年度新学期を迎える。新税の影響で、生徒たちの新学年がかすみそうだ。新卒の新入社員諸君もいる。彼らの職業人生が始まる。これらには、いくらでも上積みが欲しい。前夜、ここに集中するしかない。(了)
 

踊り場を越える話

 大相撲の大関鶴竜が、昨日春場所で初優勝を決め、いよいよ次の横綱昇進が決定的となったようだ。寡黙な相撲取りで、派手さはないが、芯の強さを感じさせる力士だ。昔から相撲は好きで、それなりに贔屓の力士もいるのだが、鶴竜はどちらかいうとそれほど好きではないものの、でもけして嫌いではないといった力士だった。その鶴竜、ここのところめきめきパワーアップしている感じで、随分強くなったと気づいてはいたが、まさか一気に優勝するほどの地力がついたとは思っていなかった。

 少々思い出すと、大関になってから鶴竜は少し低迷していたと思う。なにか壁にぶち当たっている印象がしばらく続いていた。鶴竜は大関までかな、そんなイメージが固まりそうな空気をひっくり返したわけだ。見事だった。これでモンゴル出身の三横綱時代が始まりそうである。ただ、出身はモンゴルだとしても、優勝インタビューの鶴竜は、まったく日本人と変わらないと感じる。いや、国籍ではなくて、土俵人は土俵人ということなのだろう。

 さて、その鶴竜の低迷期のことだが、これは今の結果から見つめ直すと、どうしてもこの低迷は必要だったのだと思える。一つに、人が鍛錬した成果が次のレベルになるには、相当な時間を刻み続けなければ結果が形にはなってこないということがある。踊り場に立つ、と言ったりするこの時期は、欠くべからざる成長のステップなのである。何事につけ、この時期を越えることができるかどうか、大きな岐路になる。

 気持ちの上では、かなり憂鬱な時期である。伸び悩み、限界、衰退待ち、ろくな言われ方をしない。ただ、大事な時期であることはまちがいない。この時期に刻み続けることができるかどうか。講師として生徒と向き合っていると、いつもこの“踊り場”の手強さに遭遇することになる。実に手強い。何が一番大事かは、もちろんこの時期に生徒に意欲を持ち続けてもらえるか、最高難度だ。

 いつも思うが、人にモチベーションを与えるのは最終的に人しかない。鶴竜にモチベーションを与え続けたという意味では、師匠の井筒親方の功績は大きい。もちろん、鶴竜にモチベーションを与えたのは、親方以外に誰かある場合もあるだろう。けれども、そのことを含めて、親方の羽の内で意欲をキープさせたということだ。こういう手綱さばきはつくづく難しいと思う。
生徒と向き合う意味がここにある。(了)

流離の話

 3月も後半になると、小中高の卒業式があちらこちらである。卒業式には誇らしさとともに、その後ろ側に別れの哀しみが貼り付いているから、卒業式をテーマにする歌には哀調を含むものが多い。サビの“勇気を翼に込めて”の歌詞でお馴染みの『旅立ちの日に』は、日本中の学校の卒業式で歌われている曲だ。この曲のメロディーラインには、やはりどこか哀調を帯びたところがある。巣立ってゆく生徒たちを“自由を駆ける鳥”と呼んで、さあ飛び立つぞ!と生徒たちの晴れの門出を歌っているのに、曲調はむしろ哀切感が漂う気さえする。そして、その哀切感が卒業の歌にぴったりでもある。

 この系統の曲は人の琴線に触れるのだろう。最近では、歌手の“いきものががり”が歌う『YELL』という曲にその感じを抱いた。この曲でもやはり生徒は鳥になぞらえられ、“翼はあるのに、飛べずにいるんだ”と、少年時代のほろ苦い思いを捉えつつ、“さよならは悲しい言葉じゃない。それぞれの夢へと僕らを繋ぐYELL”と言ってのける。そして、それが実に心を揺すぶるメロディーに載って流れてくる。YELLとは応援合戦のあのエールのことだ。それを歌うボーカルの声がとても澄んでいて、かえって哀しい曲調になっている。これも卒業にぴったりだ。

 案外に、鳥を歌った曲というのはそもそもマイナーコードの曲が多いのではないか?少々古くて恐縮だが、サイモント&ガーファンクルの『エルコンドルパサー』などは、そのタイプだろう。何のことはない小学校で習った唱歌『とんび』にしても、“ピーヒョロー、ピーヒョロー”ととんびの鳴き声の部分のメロディーなど、直に心の奥まで届く気がする。鳥を見る人間の気持ちには、地上の生き物の哀しみが籠もるなどというのは言い過ぎか。鳥ではないが、大空を飛翔する憧れを歌った加藤登紀子の『この空を飛べたら』や、こちらも唱歌で、ギリシャ神話のイカロスを歌った唱歌『勇気一つを友にして』など、何度聞いても切々として悲哀感が滲む。

 人が真実に遭遇した時、ある種、哀しみに似た感情が湧き上がるようにできているのだろう。造物主はそのように人を造ったのではないか。卒業は、馴染んだ学校を去って、一種の流離、流浪に流れ出すことだ。人は留まりたくても、一つ処にずっと留まることはできない。どうすることもできず変わるしかない。そんな思いにどこか触れるのが、卒業なのだろう。失うことで更新できるものがある。それはどこか生命の真実なのではないか。失うには勇気がいる。その勇気のことを歌では飛び立とうとする鳥の翼と言っている。流離感。失う勇気を奮って、命のドラマにぶつかってゆくしかない。哀しくて歓びに満ちている。“白い光の中に山なみは萌えて”。これはおそらく空中から見下ろした景色にちがいない。(了)

 

不思議の負けがある話

 続々と合格発表が続く。今週で大方の大勢がわかる。塾としては合格者だけが生まれてくれることを願うものの、やはりそううまくはいかない。必ず不合格になった生徒も出てしまう。そしてこのことはかなりこたえる。生徒、保護者はもちろんだが、塾の講師としても、すべてが自らの過ちであったと判明する瞬間であり、その慄きは相当のものがある。ただ慄いてばかりいられるわけもなく、次善の第2志望校へ生徒、保護者の気持ちを切り替えてもらうよう懸命に説得することになる。

 毎年、必ず繰り返される光景だ。試験は競争なのだから仕方がない。勝者があれば敗者がある。しかし、なかなかそのように割り切れるものではない。自分の生徒は負けてなんかいない、そう思いたいし、現にそう思い続けている。何かのまちがいだろ?この生徒は合格証を手にすることはできなかったが、こちらからなにか勲章を生徒に渡したいような思いで一杯になる。何かないだろうか!

 『勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし。』よく知られている江戸後期の九州平戸藩主だった松浦静山の言葉だ。実力が伴わなくても、展開や流れといった何かの要素で勝つことはある。だから、たとえ勝利したとしても、その勝ちに驕ることなく、常に鍛錬を怠ることのないようにせよ、そのような意味として理解されていると思う。真理をついた鋭い洞察である。さすがに多くの日本人の共感を呼んできた言葉だけはある。

 しかし、敢えて自分は“不思議の負けもある”と述べてみたい。先に述べた不合格になった自分の生徒が、なぜ落ちてしまったか、最後まで合点がいかないことがある。絶対に不思議の負けもある。そう思い出すと、不思議な負けがあることは確信に近くなる。自分が講師として判断を誤ったことを弁解するためではなく、なんとか生徒に渡す勲章を探そうとしているからだろう。

 大名なのに剣豪でもあった松浦静山が、上記の“不思議の勝ち”を述べた『剣談』という書の中に、“道にしたがい、道をまもれば、勇ましさがなくても必ず勝ち、道にそむけば必ず負ける。”とも記しているそうだ。この言葉もまさにその通りだろう。“道”とは何か、原書を何度も読まないとわからないことかもしれないが、件の自分の生徒は、邪なことをしないで、真正面から受験に取り組んできたことはまちがいない。だから静山の言葉に従えば“必ず勝つ”はずだ。つまり受験の合否が勝ち負けではないということ。そしてこれは負け犬の遠吠えでもない。受験で負けても、大事な“勝ち”を手にしているということ。それが何かは簡単な言葉にはできない。だが少なくとも、道にそむかなかったことが勝ち繋がるその道理は、生徒が一生携えてくれるはずである。(了)


本当の力の話

 先々週の大雪から4月並の陽気が兆したと思うと、またしても寒の戻りがあって、気がつけば3月3日の雛祭りだ。入試戦線はまだ真っ只中にあり、業界では落ち着けない桃の節句となっている。
 ソチ冬季オリンピックが終わり、パラリンピックがこれからのタイミングに、隣国ウクライナのクリミア共和国にロシアが正規軍を派遣した。ついこの前まで平和の祭典が行われていたのではなかったか?
 新消費税が4月に迫り、アベノミクスにより一見回復基調に見えた日本経済は、増税後どうなっていくのか?様々に憶測が飛んでいる。

 世界は既に恐慌に突入していると主張する人がいるが、経済が悪くなってその後に、大きな戦争が起きてきた歴史を世界は目撃してきたはずだ。そう思ってこのクリミア問題を眺めると一層怪しい不気味さが漂う。
 来週、3月10日は東京大空襲の祈念日だ。一夜にして10万人余の人々が亡くなり、そしてその亡くなった方の4割は18歳未満の子供だったことが、最近出てきた名簿資料により明らかになったと聞いた。丁度、私たちの塾の生徒の年令である。

 世界は刻々動いている。歓迎する動きばかりではない。不安な方に向かう、きな臭い動きもある。学習シーンで生徒たちがより自信を深め、元気になって希望に立ち向か踏み切り板的な支援が塾の本分だと思う。そういった生徒自身の取り組みの記憶が、やがて、激動する世界に直面した生徒たちの底力になってくれるのではないか、と思っているが・・・。そう思っていたいのだが・・・。

 3月3日の雛祭りでは、まだ入試結果がわからない生徒も多々いる。ただ、結果はわからないが、彼らは少なくともここまで逃げずに闘ってきた。しかし、この先には本当の力が要るようだ。その本当の力に塾が係われるのか?教育のことをしっかり考えなくてはならない季節に突入した予感がする。(了)

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