2014年02月

“紐帯”の話

 高校入試、大学入試はいよいよ最終局面に入ってきた。ここからは公立学校の試験が始まっていく。最終的な第一志望校が公立である生徒は多いので、ここからが勝負と思っている受験生も多い。高校までだと、できるだけ地元に通わせたいのが親の人情であり、また、生徒も様々な親の事情も踏まえ、公立高校を志望する生徒が多いわけだ。健気なことに『親にあまり迷惑をかけたくない』という子供らしくない理由で、学費が相対的に高めになる私学ではなく、公立学校を志望する生徒も随分いる。

 受験生には余計な話ではあるが、地域を活性化する上では、公立学校の存在感が非常に重要だと思える。逆に言えば、生徒の郷土愛を育むことが公立学校の大きなミッションになっていなくてはならないだろう。もしも地元に学校がない、小学校も中学校も、もちろん高校もないとなると、コミュニティーはかなり空気が希薄になると思える。スカスカの感じがするというか、基盤を失う危うさを感じるのは自分だけではないだろう。

 一方、行政がそのサービスエリアの設定において、小学校を基準に分けているのは自然な感覚だと思う。たとえば、『七小エリアから巡回検診を行います。』などとアナウンスがある。コミュニティーの最小単位が小学校にあるとの認識は、人々が育ってくるうちに培われてしまうものだろう。現代ではそうなのだと思う。昔なら、コミュニティーの単位を成したのはお寺だったのだろう。コミュニティーを結んだ紐帯がお寺だったわけだ。われわれの源流にある寺子屋は、そのような寺の機能から自然と生まれたものだろうと推察する。

 人と人を結ぶ、まさに紐帯。学校は、特に公立学校は地域の人々を結びつける紐帯である。まちがいない。もちろん学校だけが地域を繋いでいるわけではない。公共機関には大なり小なりその機能を有する。役場、公民館、図書館、それに交番もそうだろう。“寄り合える場”のことだ。寄り合える場は中心になる。行政サービスが小学校単位でエリア展開する理由がここにある。

 さて、塾にもその機能があることを述べておきたい。コミュニティの紐帯としての塾。そのことのやりがいと責任感をかみしめるような緊張感があってよい。特に小中高生の塾は、まさに地域に根ざし、地域に支えてもらうしかないのだ。ならば自らも地域に繋がりつつ、その中の人々同士をさらに強く結びつけるのが役立ちの形ではないか。誇らかに生徒たちが自分たちのふるさとで育ち得るように。そうしてふるさとを誇りに思えるように。そのための支援という意識を、塾人ももっと強く持つべきではないか。

とまあ、公立学校の試験を前に道草をしてしまったというわけだ。(了)

 

大雪再来の話

 先週末、またしても首都圏は大雪となった。先週同様に粉雪が深々と降り積もり、みるみるうちに一面は白銀の世界となった。再び公共交通機関のダイヤが乱れ、あまつさえ今週は東急線で衝突事故まで起きてしまった。日頃、圧倒的に信頼している鉄道の事故だけに少なからずショッキングだ。原因は調査中とのことではあるが、この雪の影響は間違いないように見える。雪害との言える降雪量となった。

 この時期は私大など連日入試が行われる時節だ。土日も試験は行われる。交通機関の乱れの影響が今回の雪でも出てしまっている。学校の教育活動は基本的に休止している土日であるが、塾はこの時節、土曜はもちろん、日曜日も営業していることが多い。受験学年の最終仕上げを行う必要があるからだ。だから週末の雪は、通塾の足を妨げる点で、塾の生徒と講師にとって厄介な災いとなる。あのくらい降ると、もうあんまり風流など言っていられない。

 この時期の休講は痛い。なぜならその分の補講がもはや難しいのが受験生だからだ。補講する前に試験が終わってしまう。この時期受験生が塾に来る理由は、まだ終わっていない単元の対策をやる、という部分ももちろんあるが、気持ちの安定のために教室へやって来るという面も大いにある。よく『やっぱり自分の布団が一番ぐっすり眠れる』と旅先などで言う人がいるが、その伝で言えば『一番集中できる机』が塾にある。

 四字熟語の安心立命。不安なく天命を待つという境地のことを言う。もう後はすべて天に任せるだけ、と安心できる場所。それが塾でなくてはならない。何より初めに、塾は安心できる場所となっている必要がある。生徒たちの安心を妨げる障害を取り除く場所、棘を抜いてくれる人物。それが塾であり、塾の講師である。生徒たちの年令は、とても不安を抱きやすい年令である。ただでさえそういう年頃なのだし、増して受験前ともなれば生徒の不安は極点に達している。塾の出番なのに!これがこの土日の塾関係者の実感だ。

 その昔、寺子屋の時代にもこんな雪の日があっただろう。寺子屋のお師匠さんたちはそんな雪の朝、囲炉裏だの火鉢だのに炭を入れ、やっぱり玄関前の雪をかいただろう。もちろんあの自分は今とは違い電話も何もない。休講を告げることもままならない。お師匠さんは何度も表に出て、塾生である筆子たちがやって来ないか確かめたことだろう。来なければいいが、しかし来て欲しい、そういう複雑といえば複雑な気持ちだったにちがいない。そして、もし雪の中を筆子がやって来たら、その時のお師匠さんの気持ちは想像できる気がする。『さあさあこちらへ!』お師匠さんは筆子を招き入れ、手前に呼んで火鉢を抱かせたことだろう。互いに暖を取り合って色々話したに違いない。その時間は勉学よりも大事な時間だったかもしれない。現代もそこは同じだと思う。(了)

 

大雪の朝の話

 先週の金曜日の夜から土曜の朝にかけて、天気予報のままに首都圏も大雪となった。ソチ冬季オリンピックの開会式が始まったなどと言っているうち、窓の外はまるで雪国ようになっていた。粒の細かな粉雪がしんしんと降り継いで、明け方には完全に白銀の世界が出来上がった。東京では降雪量としては45年ぶりの水準の大雪となったようだ。確かにいわゆる“どか雪”だ。家の軒下でも無慮40センチは雪が吹き溜まっていた。

 最初に凄いと思ったのは、実はこの大雪を見事に的中させた天気予報の方だ。まだ晴れ間のある段階で、『週末は20年に一度の大雪だ』と確かに言っていた。備えはしたが、しかし、半信半疑の部分もかなりあった。そこまで本当に降るのか?そんなことを内心では思っていたので、土曜の明け方、窓の外に“雪原”が見えた時は完全に脱帽だった。この精度はまさに科学の進歩がもたらしたものだ。その昔なら予言者として名を残せただろう、などと余計なことを考えた。

 土曜日の日中も終日この雪は降り止まず、上記のように“45年ぶり”の積雪となったわけだ。これも予定通りというのか、首都圏では公共交通機関の運行にかなりの影響が出た。ニュースでは私大入試のいくつかの大学が試験時間等の変更をしたと言っていた。現状の入試は本番一発勝負型が尚主流であるため、これに遅れるとなれば一大事となってしまう。当の受験生は、電車が止まりそうだとなると、本当に気が気ではなかったであろう。

 日曜の明け方には、やっとこの雪は止んでいた。やおら起き上がって窓の外を見ると、前の道路には轍もまだなく、白一色の世界が拡がっている。さて、新聞を取ろうと玄関を降りると、どうやら門扉が開きにくくなっている。“やっぱり雪かきか”ジャンパーを羽織ると表に出た。これだけまとまった雪を見たのはいつ以来だろうか。近所の方々も一人、また一人雪かきに出て来られた。『本当に降りましたね』そんな言葉を交わしながら、玄関前、門扉前を皆スコップで雪かきをしている。

 このとき、斜め向かいから男の子と女の子が出てきた。小学校低学年くらいの兄妹だ。そして、男の子が開口一番、ひと際通りのいい甲高い元気な声で『やるしかない!やろう!!』と言って、プラスチックのちり取りで雪を掬い始めた。この少年の『やるしかない!やろう!!』の声がしばらく耳に残った。少年らしい正義感が溢れていた。『やるしかない!やろう!!ってか。大したヤツだな。この子は大物になるかもしれないな』そんなことを思いながら、自分も『やるしかない。やろう。』と小声で口ずさみ、まだまだ積もっている雪をスコップでかき続けた。(了)

 

電車の父娘の話

 2月1日は東京都内、神奈川県内の私立中学入試の皮切り日だ。今年は土曜日だったこともあり、父親が同伴している家庭が例年より目立つ気がした。もっとも近年は中学入試の試験会場に父親が同伴する家庭はかなり増えてきている感触があり、もちろん今や珍しいことではない。父親が学校選びに踏み込んで、子供の教育全般へ係わりを深めることは悪いことでもない。かつてワーカホリックなどと欧米から言われていた日本人の昼夜を厭わぬ働きぶりは、休みも返上して子供をかまってやることすらできず、家族からは『家庭を顧みない』などと手厳しく非難されることも多かったわけだが、このあたりのライフワークバランスというやつが、ある程度とれやすくはなっているのだろう。

 この日、電車で移動中に遭遇した中学受験帰りの父娘の会話は耳に残った。母親は同伴していない。細部までを聞いていたわけではないが、どうやら父親が話すところは、『・・・午前中は半分以上落ちていたからね・・・』と、娘をそれとない感じを装いながら慰めている様子だった。非常に不器用な話しぶりに感じたが、娘が落胆しないように、懸命に元気付けしようとしている話に感じられた。おそらく午前入試を受験したが合格できなかったのかもしれない。限りなくその学校が娘の第一志望校のようであるから、それで午後入試も受験して、今終わって帰途についているところなのだろう。娘は自信なげにしていて、なんとか動揺しているのを隠そうとしているように感じられた。父娘二人の気持ちがかなりわかったような気がしたものだから、電車を降りて父娘と別れた後からも、二人の会話がしばらく耳に残った。

 小学校6年生の娘が、入学試験で不合格になるなんてことは、父親にはなかなかこたえることだと思える。もちろん母親もこたえるには違いない。しかし自分の主観に過ぎるかもしれないが、父親の方がいざという時に母親より遥かにやわだと思っている。父親はこのような時におそらく途方に暮れるより仕方ない。どうすれば娘のショックが和らげられるのか?そのことが頭の中をぐるぐる回って空回りするばかりだ。自分も同じような状況に放り込まれたら、間違いなくそうなるだろう。もっとも、その辺がびしっとした父親もいるのだろう。ただ、繰り返し主観に過ぎるかもしれないが、それは限りなく少数派だと思えてしまうわけである。そういう認識もあって電車で遭った父親のあの不器用な話しぶりに自分はとても共感できた。

 生徒本人だけでなく、家族にとっても受験は小事件以上である。中学受験であると、尚更震撼が大きい。三つ子の魂百までと言う。その通りだ。子供時代に魂を揺さぶるような事件に遭遇すると、それは生涯、その人の心に深く刻まれ続けるというわけだ。塾の講師として生徒を迎え、送り出している身にすれば襟を正すべきことだと思う。まずは何よりも、合格という結果に生徒達を導くことだ。父親があたふたしないように、もちろん生徒が自信を失わないように!ただ、これはどうしようもなく100%はない。問題は結果が不合格の時。その時にも、人生の経験として生徒達のこれからの行動の原動力になるものを蓄積してもらわなければ済まない仕事だろう。そういう稼業なのだ。それがあるとわかったら、あの父親ももっと腹を据えることができたかもしれない。われわれには受験の前に大事な勝負が一つ終わっているのだ。困難な勝負だが、むしろこちらの勝負の方が大きいように思える。(了)

 
カテゴリ別アーカイブ
タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ