2014年01月

あるエライお医者さんの話

 『医療は人生を示さない。』この言葉はある高名なお医者さんの言葉だ。このドクターは『ガンになったら、手術も抗がん剤治療も受けてはいけない』という趣旨のことをいつだかメディアで発言しておられた。それを耳にしてからというもの、何か、このドクターのことが文章で取りあげられたりするとどうにも捨て置けない感じがするようになった。ドクターの言及されることは、案外他のお医者さんにも事実としてわかっていることなのだろうと思える。しかし、そのことに触れると色々物議をかもすだろうと、敢えて誰もが触れないでいるようなタブーでも、この方は正面から苦もなく取り上げ、バッサリ袈裟懸けにする。快刀乱麻の如くある種の爽快感を覚える。

 医師であるご当人が『医療は人生を示さない』と言われる時に、どこか気持ちがねじれていて、屈折した心理から言われているのかというと、そうではないようだ。大いなる真実を坦々と述べているようにむしろ見える。『病気を治すのは医師(医学)ではなく、自然治癒力なんだから・・・』こんなことも言われ、ドクターはお医者さんの権威というものは、どうやら認めておられない。『抗がん剤治療など余計に患者を苦しめるだけ』とも言及され、まちがいなく医学会からは反感を持たれ、疎まれているだろうと思える。百も承知でやっていて、相当の勇気が要ることだけはわかる。

 医療関係者にとっては営業妨害にちがいない。医療関係者も儲けないと生きてはいけないわけで、近代医学の否定がとことん進むと大いに困るはずだ。ドクターを敵対視する医師はあまたいるにちがいない。ドクターが発言すると、唇の前に人差し指を立てて、『しーっ!!』とでも言いたいのではないか。だれが前に来ても、まったくお構いなしに見える点が、このドクターの凄い所に思える。覚悟がある人物なんだと得心できる。同じようにできる人は滅多にいないだろう。

 真実を坦々と述べることは実に難しい。遠慮したり、気負ったり、逆に気圧されたり、真実を述べようとすると、難儀な気分になることも多い。上記のドクターのようなわけにないかない。ただ、ひとたび教育の現場に係わるというのなら、真実は真実として坦々と述べるようでなければ、生徒と係わってはいけないように思える。教育関係者も医療関係者同様、儲けないと生きてはいけない。ドクターが『抗がん剤などで治療するから、どんどん悪くなる』と言っているわけだが、『どんどん生徒が悪くなるようなことを、教育現場の自分もやっていないかな?』この問いはどうも纏わりついてくる。考え始めると深みにはまりそうな話ではある。少し整理がいると思っている。

 真実をベースに生徒と係わっていくためには、まず手始めに『儲けるために教育をしている』という真実をまず偽らずに受け入れ、また、坦々を伝えていくことあたりから、始めることなのかな、とぼんやり思っている。(了)

 

チャンスの話

 センター試験が終わった。しかし、束の間の開放感を感じることもなく、新たな焦燥の中に受験生はいる。合格発表まで、まだまだ遠い。自己採点の悲喜こもごも、今はその時間になっているはずだ。ご存知の通りセンター試験のでき如何では、受験先を変更せざるを得なくなる。ある意味、受験とは培った学力を試すというよりも、チャンスを如何に捉まえるか、そのことを試されることなのだろう。昨今言われている到達度テストの導入は、生徒の日頃の学力を、きめ細かく、より客観的に見るという点では理にかなっている。極端な言い方だが、現行の一発勝負型入試は限りなく“運試し”の様相がある。あるいは古代人が熱湯に腕を浸して罪過の有る無しを見極めたという“クガタチ”にどことなく似ている気さえする。

 しかし、常に勝負は一発だ。これは事実である。チャンスに結果を残した者を勝者と呼ぶ。それを活かせなかった者が敗者だ。この違いは確かに大きい。ただ、忘れてはならないことは、勝者にも敗者にも同じチャンスがあったということ。勝者だけにチャンスがあったのではもちろんない。確実に敗者にもチャンスはあった。チャンスが与えられた点については完璧に平等である。このことは当たり前なのだが、小さなことではない。勝ち負けはどうでもよいと言っているのではない。勝つことは大事だ。プロスポーツに限らず、食べてゆくためには勝ち続けなければならない。ただ、勝つための前提には、とにかくチャンスを得ることがある。まずはここからだ。

 必ず勝てるかどうかはわからないけれども、少なくともチャンスにありつけたことは素直に感謝するべきだ。勝つことは難しい。なにしろ強い者が必ず勝つわけでもない。強いだけでは勝てない。それは勝負の“文”と呼ばれる。強いが勝てないという者が、おそらく世の中にはごまんといることだろう。その逆も時にある。ダークホースなどと呼ばれる、まさに一発屋も確かにいる。“勝負は時の運”とも言うわけで、まさにやってみなければ勝負はわからない。だからこその結果が大事、勝利がすべてということになるわけだが、待てよ、それなら勝負に臨めたこと自体が、それに劣らず貴いことだとわかるだろう。むしろより確かなことは、勝者にとっても、敗者にとっても自身がチャンスを自らの手に入れたことの方だ。

 大事なのはチャンスだ。ひょっとすると勝敗よりもチャンスの方が大事なのではないか。そういう気がしてくる。チャンスさえあればいつかは勝てる、そんなことは甘い戯言だろうか?いやいや、それがむしろ経験知だったのではないか。繰り返しになるが、常に“勝負はやってみなければわからない”のである。これは真実だと思っている。さて、とは言うものの、センター試験の結果が出た生徒たちに、“大事なことはチャンスを手に入れることだったのだ”などとは、今は言えない。われわれは行動で示すしかない。生徒たちの次のチャンスメーキングを手伝うことのみだ。(了)

 

乱世の新成人の話

 今日は成人の日。全国の市町村で、新成人を祝う式典が行われる。日本では二十歳(はたち)になれば、誰でも成人と認められる。しかし、古くは単に年令ではなく、いわば“自力で食っていけるようになった”と周囲が認めれば、その時成人になれたようである。薪を何キロだか1日で集め、それを何キロだか売りさばけたら成人、というような基準があったそうだ。つまり、親掛かりでなくなる、自力で生活できる力を得ることが成人の条件だったわけである。今で言えば“社会人になる”というのが往時の成人の意味に近いようだ。ところが、現代の日本では、二十歳で社会人になっている若者はむしろ少数派である。

 二十歳になれば一律に成人と定められたのは、どうやら明治の徴兵制の施行と関係があるのだそうだ。当時男子は二十歳になれば全員徴兵検査を受け、兵隊になることが義務だった。国を守る者は成人たる資格がある、というわけだろう。兵隊は大きく見て社会的存在であり、だから、兵役に就くこともまた社会人になることと言えそうだ。同時にまた、社会人になることは、兵隊になることでもあったのだろう。というのは、たとえば、当時の教育目標は、立派な軍人を育てる教育であればことが足りたんだろうから。ある意味、明確な教育目標になっていた。

 ところが、戦後は、新憲法により徴兵制はなくなった。二十歳になっても兵隊になる必要はなくなったのだ。ではあるが、大雑把に言って、法律の上で成人の定義は必要であるため、そこから、引き続き二十歳を成人としたようである。もっとも、戦後すぐは、庶民の子弟の進学率は今とは比較にならないほど低かったわけで、中学を出て集団就職をする世代もだいぶ続くから、二十歳では自力で食っている若者も現代よりはかなりいたはずだ。つまり、社会人として納税者になっている者もそこそこ居たんだろう。その頃であれば、成人について、社会人の自覚が条件になることに、現実が追いついていたのかも知れない。

 さて、現代だ。若者は、二十歳ではまだ学生である者が圧倒的に多い。この時代における二十歳の成人の意味は実に曖昧だ。まず、端的に大人なのに親掛かりである。何かこう、今の新成人はペンギンの雛鳥のようだ。あれは、成鳥になるちょっと前に、羽が完全に生え揃っていない時分、雛なのになりは親達より大きく見える時期がある。餌も大量に食べるようで、親鳥はひがな一日餌取りに追われている。思えば思うほどよく似ているではないか。毎年これを思い出す時、ちょっと苦笑を禁じ得ない。

 成人の意味が曖昧であると、教育目標も実に曖昧になりやすい。上記の、立派な兵隊を作ればよい時代とは反対の状況が生じるわけだ。実際に曖昧だと感じる。ならば、やはり原点に返るほかないのだろうと思う。“他人に迷惑をかけず、自力でしっかり生きて行ける力”を育むことが、教育の目標だと思う以外ない。これとて“一流大学から一流企業へ”といった成功の図式が崩れてきている。ある意味、この点は乱世になってきつつあるのだとも思う。だとすると、本当に今必要なのは、“乱世を生き抜く力”ではないか。このことをより明確に意識することが、教育の道にいる者に必要なことのように思える。(了)

 

ふるさとの話

 この正月は久しぶりに郷里に帰って来た。日頃、老親を実家に二人だけにしているので、気がかりにはなっているのだが、仕事やら何やらにかまけて、これまでは“越すに越せない大井川”を自分でこさえてきた。もうかれこれ10年は帰えっていなかった。だが、暮れに老親が揃ってケガを負ってしまった。齢八十ほどともなると、さすがに足が弱ってくる。ちょっと転んだだけでも案外なケガになってしまうのだ。それで、にべもなく年末仕事がはねるのと同時に帰郷したわけだった。新幹線と在来線を乗り継いで8時間。着いた頃にはすっかり外は暮れてしまったが、それでも、思ったより近く感じた。さてと、二人はどうなっているかな?そう思いながら久々に実家の玄関を開けた。

 玄関の向こうでは、手首に添え木をした母と、腰のコルセットがようやく取れたという父が笑って迎えてくれた。思ったより、二人が達者に見えたので少し安堵した。頭の中ではもっともっと重篤なイメージを抱えて帰ってきていたので、上がりがまちに二人が立っているのを見て、肩から少し力が抜けた。それでも、色々やるつもりで帰ったわけだが、何かやることはないか?と言ってみたが、何もすることはない、休めと言われてしまった。では飯でも、となって、少し母を手伝って雑煮を作ってもらい食べた。懐かしい椀に、懐かしい湯呑に、そして懐かしい味だった。ずっと毎年食べ続けていた雑煮の味だ。母は、まだ料理ができる。そう感じて少し安心した。帰った甲斐があった。

 安心したおかげか、饒舌になって両親と話しをした。主に互いの近況だ。年寄りのこと、あまり遅くなってもと、切り上げて横になることにした。まだ昔使っていた自分の布団があって、そいつで休ませてもらった。こいつはぐっすり眠れる。そうして朝起きると飯ができていた。自分が帰って居る間はオサンドンを出すつもりで勇んできたわけだったが・・・。昔のように母は誰よりも早く起き出し、台所に立って朝飯を作っていた。その姿を見ると、何かやることはないか?などと尋ねることは無用のことだと思った。それを母は喜ぶわけではない。自身で煮炊きをして、自分に食べさせるのが本望なのだとわかった。自分は黙って食べればよいのだ。

 あっという間に正月は過ぎてしまった。速い。東京に戻る日となった。帰ってくる前に気張っていたほどには、結局何もやれなかった。逆に、食べて、話して、寝て、自分の方が養われるばかりだったというのが実態だ。結局元気をつけてもらったのは自分の方だ。ここに自分のふるさとがある。ふるさとは、かくも自分を養う。これはおそらく永久に変わらないだろう。その土地で育ててもらった者にとって、ふるさとは永久に自らを養い、育んでくれる場所であり続けるだろう。今回帰って、改めてふるさとを発見した思いだ。そして、ふと思うのだが、子供たちが通ってくる学校でも、塾でも、子供らが通い続けるうちに、いつしか、それは子供ら自身にとってのふるさとになっていくはずだろうと。いや、待て、そういうものでないならば学校でも塾でもないということだ。そうだった、自分なりに、ふるさと作りをまたやるとしよう!父母に見送られ、帰りの車中でぐっと気持ちが固まった。(了)

 
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