2013年12月

108発目の鐘の話

 まさに年の瀬。明日は大晦日だ。除夜の鐘を明日の夜には聞くことになる。驚いたことに、もうその日なのである。暮れの風物詩といって、除夜の鐘ほど馴染み深いものもない。この除夜の鐘は108回撞かれることはよく知られている。また、最後の1発は、午前0:00を回って明けての新年に撞かれることになっているようだ。この新年の108発目はとても意義あることに感じる。それは“繋がり”を強く伝えるメッセージがあるからだろう。新しい年に無事、長らえることができたぞ!さあ、また新たな始まりだ!!これが108発目に込められたメッセージなのだろう。

 “ことほぎ”という言葉がある。寿ぎと書いて、文字通りお祝いの意味であり、またそのお祝いの言葉そのものを指すこともある。さらにそこから派生してということだろう、長命という意味もあるそうだ。長生きとなると、これはまさしく命の繋がり、を指しているわけで、命を継ぐことの慶び、その素朴な嬉しさを、古来から日本人は寿ぎと言って慶びあったのだろう。さしずめ、108発目の除夜の鐘は、“寿ぎの1発”と言えるのではないか。寿ぎの鐘だ。例年、あまり108発目を意識したことがなかったが、今回は一つ、この108発目に耳を澄ましてみようと思う。

 繋がることの慶びは、繋がれない厳しさを一方で実感するから上増すものだ。明日は何があるかわからない、これが人の命。でも、そのことに慄いていてもしょうがない。また、今日も命が繋がったのだから、せめてそのことを慶び合おうではないか!命の限り、やるだけやればよいのだ!悩んでいても始まらない!さあ、今日は飲んで、唄って、このように在れることを神に感謝しようじゃないか!そんな思いが日本の正月を作ったんだろう。繋がることは慶びそのものなのである。

 塾とは何か?色々な見方があるだろう。その中に、繋がりの場としての塾があると自分は考える。それも色々な繋がりだ。もちろん、生徒と講師が繋がる場であるし、生徒と生徒が繋がる場でもあり、また、保護者と講師、保護者と保護者がそれぞれ繋がる場でもある。それぞれが塾の空間の中で“脈々と”繋がっていること、それを媒介できることが塾の重要な機能だ。あるいは、そもそも生徒の学習への取り組みは、大きく言えば人類の英知の歴史に繋がる試み、チャレンジだろう。そしてまた、それは生徒の将来の進路に繋がることでもある。だから塾には、ネットワークが働かなければならない。そしてそうあるための第一は、まず塾自らが永続し続けなければならない覚悟を持つことだ。新年も、そしてまたその次も繋がり続ける不退転の意志のことである。(了)

 

タスキの話

 年末から新年にかけて、また駅伝シーズンがやって来る。駅伝の醍醐味は、その他のリレー競技とは異なり、独りのランナーでは走り切らない距離をチーム全員で走破するところにもある。箱根駅伝を例にとっても、大手町から箱根芦ノ湖まで、しかも小田原からは過酷な山登りを含む、あのコース全長を独りで走るなど考えられない。しかも、それで往路・半分というわけで、復路まで入れるとその距離にして200キロ以上。この距離をタイムを競って走ることになる。まず、独走はあり得ないだろう。

 もちろん、全員で一緒に大手町をスタートしては意味がない。当り前の話だ。そのうちみんなで揃って行き倒れになるだけ。チームは自立した個々の集まり。駅伝では明確にこのことが浮き彫りになる。駅伝選手は、肩に母校のタスキを掛けている限り、走るのは独りだ。しかも、仮に倒れたら自分独りの棄権では済まない点で、独りより遥かにプレッシャーが掛かる。“ブレーキ”などといって、足に来たり、腹に来たりしたランナーが大幅にタイムを落とすと、“1区で早くも大きなブレーキ!!”と例によって実況アナウンサーが叫んだりする。“責任”が圧し掛かってくるわけだ。
 タスキは繋がなければならない。途切れたらただの紐だ。独りではやれないことを、一人一人が繋がることで達成してみせる。“協力”ということの原理がここにある。協力の前提が自立であることも、駅伝競技ははっきり示してくれる。ランナーの走る姿に感動を覚えるのは、この原理に元々人間が反応するようにできているからだと思っている。なんというか、本来は群れの生き物として持っている、本能の中に装置されているものに思える。人間は放っておくと好き放題やり出す、と言う悲観論を耳にすることがあるが、自分はそうではないと考える。放っておいても、やがて協力し合うのだと思う。もちろん一時的な軋轢は必ずある。しかし、長い目で見れば、やがて協力し合うようにできている。

 甘いことを言っているつもりはない。群れの本能がそうだと思っているだけである。そもそも“人を放っておく”のは誰だというわけか?造物主とか、神とかいう回答ならわかる。けれども人間というのであれば、それは不遜である。これは人智でどうなる、というレベルの世界ではないからだ。もっと大きい枠組みの世界のことだろう。だからだが、あまり人について悲観し過ぎるのは近視眼なのだと思う。そういう風にできているものとして、少し遠くを見ると根っこの方に“タスキ”が掛かっているのがわかるだろう。祖父が父に、父が自分に、自分が息子に、そうやって繋いできているタスキが現にある。ずっと大昔からそうやって繋いできた。駅伝はこの原理をどこか想起させる気がしている。(了)

夢のまた夢の話

 『浪花のことも夢のまた夢』。この時分になると、秀吉の辞世の句と云われるこの一説が浮かんでくる。1年間があっけなく過ぎて行った感じがあるから、この句が口をつくのだと思う。もちろん、波乱万丈、栄耀栄華の秀吉の人生とは比べるべくもないが、凡庸なる自分の1年も思えば夢の如しだ。“夢のまた夢”とは、“夢の中でさらに見る夢”という意味だと思った。秀吉は、この句によってようやく夢から覚めたとでも言っているのだろうか?

 まったく不思議なことだが、あっとういう間の1年は短かかったという印象を持ちながら、一方で、過ぎ去った日々のことは、すでに案外遠くに感じている。この辺りの感覚があの“夢のまた夢”という響きに馴染む。それでふと口ずさんでいるのだろう。“まるで昨日の事のようだが、しかしもう2度とそこには手が届かない”、今日と昨日の隔絶というのは、実は無限なのだろう。“十年一日”などと云う瞬く間の10年間は、それを振り返る時には既に遠いのだ。仮に1年でもそれは遠く、1日でも遠い。“あっという間にこんなに遠くへ来てしまった”思いは、まさに“夢のまた夢”なのである。

 これも常々感じることだが、“浪花のことも”の一節も実に響く言葉だと思う。考えてみるとこのフレーズが“なにかにのことも”と言うのに似ていて、だからこの一節があると、秀吉が指し示すのは単に大阪城のことだけではなく、“すべてのことが”というニュアンスが滲み出るからだろうと思う。すべてが夢のようだよ、と言っているように聞こえてくる。秀吉は“もののあはわれ”をとても深く解していたんだろう。“夢のまた夢”という言葉が伝えるのは無常の思いそのもののように感じる。

 ただ、これはさしずめ“憶測のまた憶測”なのだが、秀吉のこの辞世の句には、今生への名残り惜しさのようなものはあまり感じない。まして命が終わることへの恨み節などさらさらないと思える。おとぎ話ならいざ知らず、世界史を眺めても、実際に一介の農民から天下人になったような出世物語はそうあるものではないらしい。その栄華を“夢のまた夢”と矮小化して謙遜してみせるとてつもない器量の大きさを、この一句によって示そうとしたのかもしれない。頂点を究めた秀吉ならではの“夢のまた夢”だと思える。

 これはもしかすると秀吉の、人生の卒業式の“答辞”のようなものかもしれない。自身の栄華を“夢の夢”と断じる潔さとスケールの大きさを残して、なんとかっこよい辞世の句を置いていったものだと思う。そう思うと、12月が終わるくらいで、自分などがなんの“夢のまた夢”などと口ずさむのか?なめたことをしてはいけない。なんの資格があるというのか?ちゃんちゃらおかしいとはこのことだ。しばらくは秀吉の辞世は口ずさまないことにした。まだまだだ。夢だというなら、代わりに“無我夢中”と言い続けていきたいと思っている。夢の中ならけっこうなことだ。(了)
 

本物の”塾講”の話


 プロ野球のペナントレースが終わり、来シーズンの契約更改が始まっている。一流選手ともなると大変な金額の年俸を球団から提示されたり、さらに選手が提示し直したり、景気のよろしい話が随分聞こえてくる。一方で、シーズン中の結果によっては大幅ダウンもあり、今年はそのダウン提示を理由に別の球団に移った有名選手も出ていた。ことわざにある“板子一枚下は地獄”とはよく言ったもので、プロ野球選手などはまさにその通り。命が掛かっていることがよくわかることわざである。ただ、よくよく考えれば、どの道の職業人にとっても、本当は“板子一枚下は地獄”ではある。命が掛かっていることに皆違いはない。

 さて、続々と報じられる契約更改ニュースの中で、読売ジャイアンツの山口鉄也投手の更改ニュースは印象に残った。山口投手は今年のセリーグペナントレースを制したジャイアンツを支えた立役者の一人である。山口投手は、ゲームの終盤、勝敗が決する後のない場面に抑え投手として登板する最強ストッパー3人衆の一人だ。その名の通り“火消し役”の重責を果たし、チームのリーグ優勝に多大の貢献をしたことは誰もが認めるところだろう。60試合以上、そういうプレッシャーのかかる場面で投げ抜いた。2試合に1度以上は出番があるという登板である。そのタフさときたら半端ではない。

 山口投手がジャイアンツの育成枠から初めて1軍投手になった選手だそうだ。いわゆる雑草育ちである。高校球児からアメリカに武者修行に行き、数年でメジャーを断念して帰国した後、入団テストで、当時の横浜ベイスターズ、東北楽天イーグルスに実は落ちている。入れる可能性が高いと思って受検したこれら2球団に落とされてしまった。それで“記念受検”気分で最難関と思っていたジャイアンツの入団テストを受けてみたところ、捨てる神あれば拾う神あり、彼の変化球の球筋のよさを見抜いたあるコーチの進言により、山口投手のジャイアンツ入りが決まったという。なんと目利きの人物だろう。出会うべくして出会ったようにも感じ、さながら天の配剤とも思える。

 ジャイアンツで山口投手が頭角を現し始めた転機は、当時先輩投手であった工藤公康投手との出会いだという。工藤投手と言えば西武ライオンズ、ダイエーホークス、そしてジャイアンツ、さらにベイスターズと4球団を渡り、最後は再び古巣西武ライオンズに戻ってボールを置くまで、あくまで現役にこだわり続け、29年間、47歳までこの“板子1枚下は地獄”の世界を生き抜いた大投手だ。山口投手はこの工藤投手にオフシーズンにアメリカでの合宿自主トレーニングに連れて行ってもらい、そこで今に至る大器が開眼したのだそうだ。旅費などを工藤投手が出してくれたとのこと。とても自分では行けない自主トレだったわけだ。

 山口投手曰く、『それまでは普通にトレーニングはしていたけれども、工藤投手は、今行っているトレーニングは投球の際のこの筋肉を鍛えるために行っている、そのようにはっきり意識してトレーニングをしていた。目的意識を持ってトレーニングするだけで、効果が断然違うことがわかった。』。変に気負うのではなく、理にかなったトレーニングの大切さがわかったということだろう。山口投手が、プレーヤーとしてとてもいいと思っているのは、絶体絶命の場面でマウンドに向かう時など『絶対に次の打者を討ち取ってやる』などとはこれっぽっちも思わないということ。むしろ『打たれたって当り前でしょ』と半分泣き言入りの開き直りでマウンドに向かうのだと言う。これはよく物事の本質について思考する人物の所作だと感じる。

年俸240万円の育成枠選手から、今年の更改は3億2000万円だという。100倍以上になった。開花するとはこのことだ。そして、このオフのアメリカ自主トレには、今度は山口選手が有望な若手を、費用を自身が負担して連れて行くことにしたという。丁度、工藤投手に見出されたように、今度は山口投手が気鋭の新人をバックアップするわけだ。“恩返し”と言う言葉が思い浮かぶ。すると、山口選手が脈々と受け継いでいるものは、工藤投手の選手像だというのがわかる。ちなみに今年の年俸は工藤投手の現役時の最高年俸を越えたのだそうだ。これもまた、越えてこその“恩返し”なんだろう。

 工藤投手がジャイアンツのホームページ上に『僕の野球塾』というコーナーを持っていたことは、普通の人にはあまり知られていない。野球塾なのだから、工藤投手は立派な“塾の先生”でもあったわけだ。となると山口投手は、工藤投手の塾の塾生の一人とも言える。工藤投手の野球塾のコーナーには、正しい方法によるトレーニングの大切さが、野球少年たちに終始説かれている。メンターというなら工藤投手こそメンター中のメンターだと思える。彼の言行からも風貌からも、情熱があって、気風がよくて、けして偉ぶらず、陽気で、気さくで、愛嬌さえあって、その上人の機微がわかって。もちろん、その道を究めた一流人で、当然理論にも精通していて、挫折さえ味わっていて。なんとも、塾の講師たるはかくありたい。しかし29年間の積み上げとなると実に遠い。返す返す、かくありたし。されど道は未だし。(了)

大事な時間の話

 師走に入った。1年は速い。特に年の瀬は、座業が生業のお師匠さん筋の者も、溜まった勘定やら何やらで始終駆けずり廻るもんだ、それをもって師走というと習った。しかし、12月もそうではあるが、実感としてもっとあるのは、むしろ10月、11月の足の速さの方だ。神無月は神様も出雲に出張で、なにやかにやバタバタするわけである。そして出雲から戻ったら戻ったで、溜まった用件が山積し、霜月もあわただしく過ぎていくというわけだろう。1年最後の最終四半期は、本当に瞬く間に過ぎて行く。10月の声を聞いたら、もうすぐに新年になる気さえしている。

 ただでさえ上記の最後の四半期は速すぎる感があるのだが、1月から一般の入学試験がたけなわになることもあって、とりわけ教育の道の途上にある者にとって、10月からはマッハのスピードで時間が過ぎ去って行く。そうこうしているうちに、入試戦線も怒涛の如く過ぎて、これまたあっという間に卒業式がやって来る。生徒と向き合うというよりも、同じ方向に向かって、とにかく一緒にたったたったひたすら走っている感じだ。気がつけばゴールラインに飛び込んでいる。そうして束の間、肩を叩き合っているうちに、加速度的に春となっていて、程なく生徒たちは新しい学校へ向かって行く。

 どうも大事な時間は速く過ぎるようだ。つまり、大事な時間は速く終わってしまう。生徒と過ごす日々はこうして過ぎ去って行く。ま、塾によっては小・中・高と一貫して生徒が通ってくるタイプの塾があり、もちろん学校にも大学付属など幼稚園から大学までなどという学校もある。そういった塾や学校では比較的長く先生と生徒は付き合うことができるだろう。それでも、いや、むしろそれゆえにと言った方がよいかも知れないが、生徒が自分の所から巣立ってゆく日には、あっという間にその日が来たような思いを持つだろう。“邯鄲の夢”というやつである。そしてあれこれが大事な時間だったことに気づくわけだ。

 いつもこのシーズンになると、同僚だったT先生のことを自分は思い出す。彼には、巣立ってゆく生徒を見送る時に後悔の念が思い浮かぶことはないだろうと思っていた。自分より随分年少であったけれども、常に自分は彼にはかなわないとも思っていた。T先生は子供のことが好きで好きでならない、という風情で、そして、本当に心底生徒たちのことが好きな様子であった。生徒と居れば、それだけで毎日毎日楽しくて、楽しくてというオーラが溢れ出ていた。驚くことに、そのオーラは日に日に増えているような感じが側に居て伝わってきた。ここまでの人物はあまりいない。T先生の毎日は完結しているように見えた。思い残すことはまるでないという姿だったと思う。あれから随分時が経ったが、でも未だに彼に追いつくことができないでいる。(了)

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