2013年08月

『気がついたら90歳になっていた』話

 近くにお住まいの老婦人と話をする機会があった。この方は大正生まれの、齢今年で90歳を迎える。仮に昭和がまだ続いていたなら、今年は昭和88年のはずだ。そうか、90歳という年令は丸ごと昭和が詰まっているということだ。勿論平成も丸々だ。90歳にもなれば、昨日、今日の記憶はしばしば飛んで、覚えているのは昔のことばかり、などと思っていた。けれどもこの方はまるで違う。かくしゃくとして記憶もみずみずしく、昨日のことも先週のことも、舌を巻くほど鮮やかに覚えておいでだ。だから、お話をしていてともすると、この方が90歳なのだということを忘れてしまうのである。とにかくスーパーおばあさんなのだ。

 もちろん昔のこともよく覚えておられる。戦争の頃はもう嫁がれていたそうだ。つまりおばあさんのお子さん達が時々言われる団塊の世代なのだ。だからお孫さん達は団塊ジュニアになる。『戦争だけは嫌ですね』と何度かおばあさんは繰り返された。その言葉は、どこかで聞きかじったドキュメンタリーや、読みかじった文章よりも真に迫って聞こえた。本当におばあさん、嫌だったんだなあと直に伝わって来た。元々お話上手の方でもある。本を読むのが好きだそうで、新聞にも毎日目を通されていて、テレビのお気に入りの番組は欠かさず見ているとおっしゃった。ご近所の井戸端会議でもなんでも、こちらのおばあさんの周りに、きっと人が集まるだろうと想像できる。

 身だしなみをきちんとされていて、ものごしは気さくで笑みを絶やさない。聡明で、しっかり者の、そして相手への気遣いを忘れない古き良き昭和の女性だと思った。しかし、このしなやかさはなんだろう?やっぱりおばあさんは強いのだなあ。大正デモクラシーの香りの中で生まれ、娘時代は戦争で暗い世相を生き抜いて、深川のご実家は空襲で焼かれ、それでも焼け跡から、一家を護って子供を育て上げ、そのうち高度成長だ、公害だ、オイルショックだ、バブルだ、となって、とうとうそれが破裂だ、となた。やっぱり昭和は激動の時代と言うべきだろう。おばあさんは『気がついたら90歳』になっていたと言って笑われた。強い言葉だ。いつも闘っていたのだろう。その歴戦の強さにはかなわないと思った。

 少し驚いたことがある。こちらは戦後の第2次ベビーブーマーであって、おばあさんとは、ほぼ半世紀遅れて世の中に出てきたわけだから、両者に思考の断絶があって当り前なのかもしれない。しかし、実はそう感じなかった。先ほど言った通り90歳であることを忘れそうになったくらいだ。例えば、おそらく昭和の初めの頃のおばあさんの子供時分に、おばさんは書道の私塾に通っていたそうだ。おばあさんは普通の家庭で育ったと聞いている。『親の手前書道のお稽古サボれなくてね』とも言われていた。既に原型はあるわけだ。日本人というのは実に教育熱心なんだなと思う。昭和の初めにはもうそうなっているのか。寺子屋を生んだ国であって、寺子屋が育んだ国なのだなあ。おばあさんと同じ遺伝子を自分達ももらい受けているのだろう。どうやら誰もが持ち歩いているように思えてくる。(了)

負けは悪ではない話

 『負けるのは嫌だけど悪いことではない』。教育の現場では、このことに思いを致す瞬間がかなりある。なぜなら、端的に生徒がよく負けるからだ。負けたショックで相当がっくりすることもある。よくよく思うと生徒は負ける時の方が圧倒的に多い。卑近なところでテストの得点がそうだ。答案が返却されると大多数の生徒が自分よりも上位得点の生徒の存在を思い知る。中に常にクラスで一番、というタイプの生徒もいるが、しかしその生徒も体育で鉄棒ができずに泣きべそかいたり、なんてこともある。稀にいずれの分野でも一番という生徒もいるが、しかし、そういった天に二物も三物も与えられたかに見える生徒でも、テストもさほど、運動も目立たない普通の生徒に学級委員選挙では敗れたりする。

 またも高校野球を引き合いに出してしまうが、甲子園大会に出場できる学校はおよそ1%に過ぎない。残る99%の学校は必ず予選で負ける。甲子園大会本選でも優勝するのはたった1校。前評判通りの学校が優勝することは案外珍しい。“何が起きるかわからないのが甲子園”というキャッチフレーズがあった気がする。そうやって奇跡的に頂点に立った優勝校も、チーム結成以来無敗のまま優勝できたなんてことはまずない。練習試合を含めればどこかで必ず負けている。勝ち続けるというのはむしろ異常なことだ。負けあり。そして勝ちがあり。勝ちっぱなしではいられない。

 別な角度で、チーム内のポジション争いというのもある。野球のレギュラーポジションはご存知9つ。試合のベンチ入り人数もその倍くらいまで。過半数の部員はフィールドの外のスタンドから応援するチームも随分ある。この時のベンチのメンバー達も、スタンドで応援するメンバー達も、いずれも補欠と決まった時には辛かったであろう。一敗地にまみれる、この言葉のままだったかもしれない。確かに負けたことには違いない。彼らはポジション争いという勝負では敗れてしまった。しかし、ではこの負けは悪いのか?

 『勝つのは気持ちいいけどよいことではない』という、先ほどの逆は言えているのだろうか?何度か反芻してみるが、この一文にはどうしても歯切れの悪さが残る。“―よいことではない”という最後の部分がすんなりとは腑に落ちないからだろう。なんたって勝つのはよいことではないかと。しかも“良い”というより、ともすると“善い”と書かれかねない。それを否定するのは無理があるのではないか?そう思わせる。
だから複雑になる。『負けるのは嫌だけど悪いことではない』という冒頭のフレーズが言い訳じみてしまうのだ。『勝つのは気持ちがいいだけだ』というのは、もしかしたらちょっと新しい見方かもしれないのだが。それ以上でもそれ以下でもないという捉え方はなくはないと思うけれども。微妙だ。

 一方で、“負け慣れる”のはよいこととは思えない。つまり負けるのが嫌でなくなったらまずい。これはときに悪だろう。勝負はどうでもよいというのは違う。勝つために勝負はするものだ。しかし本当に勝つためには負けなくてはならないのではないか。だからこそ負けは悪ではない。負けても勝ちを目指し続けるなら悪なんかではけしてない。このことの第一歩は“なぜ負けたか?”を自分で問うことからだろう。負けても負けても生徒にはそう伝えるしかない。(了)
 

高校野球の選手宣誓の話

 夏の高校野球が始まり、暑い夏が例によって熱くなりそうだ。今年は95回大会。もうすぐ100回を数えることになる。野球を通じての青少年教育が1世紀の歴史を刻もうとしているわけだ。さすがに1世紀近く続いてくると、日本文化の中でしっかり根をおろして、高校野球は一つの世界を作っていると言ってよいだろう。根強いファンがたくさんいる。高校球児の全力のプレーを爽快な気持ちで見届ける夏がまたやってきた。

 勿論、第1回大会と比べればひどく様子が違うだろう。野球そのものも変わってきている部分もある。選手の体格なんかもかなり違う。ただ甲子園の変わり行く姿ということなら、第1回大会まで遡ることもない。自分たちが高校生だった頃と比べても甲子園大会の様子は随分変わっている。暑い夏のことながら、自分たちの頃は球児は酷暑の中でプレーする時に、練習中もゲーム中もあまり水を飲んではならない、などと言われていた記憶がある。今では水分補給は絶対にしろ、となっているはずだ。チームの戦力なども地方代表と都市部代表、伝統校と初陣校の実力差がかなり顕著にあった。この頃はどこの代表であっても力の肉薄したチームが多い。
 
 そのような変化の中で、開会式の選手宣誓の変わりようは改めて特筆できると思う。今大会の北北海道代表チームのキャプテンによる選手宣誓をスポーツニュースで見た。まず落ち着いてむしろ抑えた声で、大会の歴史を意識した内容のある選手宣誓を行っている様子が映し出されていた。その姿は自分たちが高校生だった頃の選手宣誓とはまるで違う。当時はまず第一声の“宣誓!”から始まって、年によっては何を言っているか半ばわからないくらいにがなり立てるような選手宣誓が主流だった。内容も当時は“スポーツマンシップに則り正々堂々闘うことを誓います!!”と書けば3行ほどの内容で短時間に終わるのが宣誓らしい宣誓だった。

 それがこの変わり様である。ここ10数年くらいで大きく変わったように思う。“がなる宣誓”は消えて“語る宣誓”が専らとなった。何だったかと思い直してみると、もっと杓子定規だったのが自分たちの頃の甲子園の様子だ。もっと硬い雰囲気が全体を支配していたように思う。ゲームに臨む選手もただならぬ極度の緊張をする選手がもっと散見していた。郷土代表という意識があまりに強くて、下手をうてないというのだろう。頭が真っ白になってプレーしていた、などと選手が振り返っているのを聞いたことがある。

 今はどうか?まず、“ゲームを楽しむ。大会の空気を存分に楽しむ”という選手の声が増えているように思う。勿論、今の選手もとても緊張してはいるだろう。しかし、その緊張こそを楽しんでやれ!というスタンスが新しく芽吹いてきた感じを受ける。昔ながらの“杓子定規”の良さもあることを認めた上で、しかしそれ以上に、二度とないような経験に全身で没入して、その実感を楽しもうとする選手の姿の方に好感を覚える。一体に甲子園は大きく括ると教育の世界に属するであろう。教育の世界には俗に言う堅苦しいことがかなりある。ぐにゃぐにゃでは勿論困る。しかし、変に堅苦しいのは結局子供達から掛け替えのない経験を奪うのではないか?教育の道にある者についても、生真面目過ぎたり、堅苦し過ぎては大事なものを見失うのではないか?往時と今とを比べてそう思った。選手宣誓が変わったのは、気づかないうちに教育の世界の変化があったからだろうか?(了)
 

人の気持ちがわかる話

 学生の頃、著名な放送作家の永 六輔さんが、次のような話をしていて感心した覚えがある。永 六輔さんと言っても、教育の道を志望する青年諸氏には馴染みが薄くなっているかもしれない。しかし、私が学生だった頃は、そのマルチな才能で多面的に活躍されていた。放送作家でもあり、作詞家でもあり、タレントでもあり、市民運動家でもあり、本当にマルチだった。有名な作曲家の中村八大さんとコンビで世に送り出した大ヒット曲『遠くへ行きたい』は、確か中学校の卒業式で全員で歌った記憶がある。多くの学校でこの曲を歌ったのではないだろうか。

 さて、そんな永さんの言葉の中で、自分の心に残ったのは、『坊主は堕落した人間でなければだめだと諭され、ほっとした。』という言葉だった。表現は正確ではないが、そのような内容だったと覚えている。ご本人が東京浅草のお寺の生まれで、生家がお寺であることで、言い知れぬプレッシャーを感じていたが、僧侶として何かのときに民衆の支えになるには、その民衆の本当の気持ちがわかる必要があると教えられ、目が覚めたというような内容だった。つまり、お坊さんは、賢人・賢者と尊ばれる必要はなく、むしろより人間らしいお坊さんこそが、民衆の求める僧職のあり方だ、と気づいたように伺った。その言葉を知って自分はとても共感した。

 実は教員の子供として、永さんほどではないが、似たような感覚を子供時代に持っていた時期がある。父親が先生なんだからしっかりしなさい、という類の小言を折りに触れ聞いて育ったからだろう。当時は、そしてまた田舎には、そのような気風が残っていたと思う。これはプレッシャーだった。しかも、なぜ?言われるようにあらねばならないか、子供には意味がよくわからないプレッシャーでもあった。あてどない努力を続けなければどうやら追いつかないらしい。そのような感覚の中で、実際に何をすればよいかは正確にはわからないが、とりあえず学校の勉強で、ある程度結果がないとまずいかな、だから試験勉強だけはある程度やる子供になっていったわけだった。

 この手の優等生ぶりは続かない。すぐに馬脚を現した。高校生になると、既にかなり開き直っていた。永さんの話を知ったのはその時分だったろう。そうか!そういう見方があるのか。それがその時の感想だった。ま、当時はそれを“免罪符”のように思いなして、何もしない言い逃れに使った節がなくはない。安易に受け止め過ぎていたと思う。本当は一番難しい道であったかもしれない。そう思えるようになったのは随分後年だ。他人様の“本当の気持ち”がわかるようになる、お坊さんだろうと教員だろうと、そのような懐を持ちえるのは、何もしないこととは真逆のトライを繰り返さないと見合って来ない。当時はこのことを見誤っていた。手ごろな免罪符に過ぎないと思っていたからだ。

 けしてきれいなばかりではない世の中の色々のことを知りなさい、というのが、実は永さんが受けた諭しだったのではなかろうか?生身の人間で、なかなかハードなシーンも覚悟しなければならないということだ。そして、おそらくその諭しには『その間自身がけして根腐ることなしに』という含意が込められていただろうと今になって推察する。その自分と現実とのせめぎ合いに屈することなしに、ということだろう。これは相当に難しい。どうしたって気楽にとはいかない。常に迫ってくる気さえするような長い闘いなるだろう。もっと早くこのことに気づきたかったとしきりに思う。(了)
 
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