2013年05月

ムチはいらない話

 東京都教育委員会の都内公立学校における体罰実態の調査報告によると、体罰は部活動の指導時に全体の6割が起きているとの発表があった。感覚的には6割よりもう少しあるのではないかと感じたが、課外時間ではなく、正味の授業時間内でもかなり多くの割合で体罰が発生しているようだ。また調査した公立学校は小・中・高であり、その中では中学において一番体罰が多く発生していた。中学が一番多かったことは、なんとなくわかる気がする。

 今年大阪で、部活動顧問の体罰が原因で自殺した生徒が出てしまい、その後、女子柔道ナショナルチームでの暴力ハラスメント問題が浮上し、社会問題として先鋭化してきていた。今回の都教委の調査の背景だと思われる。教師の体罰問題は今に始まったことではない。時代背景というものもある。なにしろ、“教鞭を執る”という時のその“鞭”とは、なんのことはない“ムチ”という意味だった。ごくごく普通に使う言葉である。遠くて近い猿山の猿の世界では、若い猿へのボス猿の指導は、時に容赦なく手荒だったりする。
しかし、今となっては、体罰は犯罪であることを“教育の道”にある者は肝に銘ずる時であろう。

 体罰を容認する空気というのもある。ムチはムチでも“愛のムチ”だというわけだ。その空気感があればこそ、体罰は犯罪である、とみな思い定めなければならない。単純に、ムチを使うのは調教であったはず。猿回しの猿、サーカスの猛獣、競馬の馬など、言葉がわからない動物たちを、人間の都合に合わせて動かすときに、支配者は誰であるか?を絶えずその動物たちに理解させ、そして、その支配に従わせるためムチが必要だったわけだ。暴力と恐怖による支配を維持する武器がその本質と見える。
 
 “教育の道”にある者は生徒の支配者なのだろうか?それは違う。しかし、気をつけなければならない。“私の生徒”という言葉に気をつけよう。ともすると生徒を支配し、所有しようとする無意識に近い力学が働いているのか知れない。その力学の存在を最初から心得て置くほうがよい。その力の作用と自身のせめぎ合いが大事になってくる。そしてそのせめぎ合いには負けてはならない。負けないでい続けることが勝つことだ。言い方を換えると、常に格闘のプロセスに在り続けることだ。闘い続けるほかなく、闘い続けるのみなのではないか。

 そのとき、できるだけ遠くを見よ、という教えがある。最近聞くようになった“ポジティブ・デシプリン(PD)”と呼ばれる教育理論がそれだ。近視眼的に、直ちに子供を変えようとすると力業になる。だから、まず長期の目標を持て、とこの理論は言う。そして、同時にまず安心を与えよとも言っている。安心してその遠い目的地まで一緒に旅をしよう!それがPDなのだろう。“教育の道”とは、生徒と一緒の旅の道かもしれない。(了)
 

“sano手術”の話

 先日もテレビ番組で“sano手術”と世界が注目する岡山大学病院の小児心臓外科医、佐野俊二医師の取材番組が放映されたようだ。知人と話している中で佐野医師の番組の話題が出て、『すごいお医者さんがいるもんだ!』とその知人から聞かされた。実は以前にも同様にテレビ番組で佐野医師のことを取り上げていて、たまたまそのとき私はその番組を観ることができた。

 知人も言っていた通り“すごいお医者さんだ”と私も感銘したことを覚えている。佐野医師は“左心低形成症候群”という先天性の小児の心臓の難病に対して、その名を冠した新しい手術法である“sano 
手術”を考案したその人である。全身に血液を送り出す心臓の機能が先天的に弱く産まれた子供たちに人工血管を装着する方法を大胆に変えたものが“sano手術”だそうだ。とりわけ直接心臓にメスを入れ、ダイレクトに人工血管を通すところが独自なのだとのことだった。この“sano手術”によって、それまで術後30%の生存率だったものが、一気に90%にまで高められたという。佐野医師は、この劇的に生存率の向上させた手術の産みの親として、世界的に著名な医師でおいでであることを当時の番組を通じて知った。
 そのすごさは結果の良好な、レベルの高い手術を編み出したからというだけに留まらなかった。佐野医師は『手術や治療が難しいからと言って断ったことはない』という。他の病院で責任が持てないと断られた患者を、佐野医師はけして断らないわけだ。もちろん、手術が客観的な事由により不可能な場合はもちろん行わない。そのような蛮勇を奮うような話ではない。つまり『成功する自信がないから』の理由では一度も治療を断ったことがないそうである。患者から逃げないという意味だ。患者から逃げないと決めているから、常識を覆すような新たな手術にチャレンジできたのかもしれない。退路を断ったなら進むしかなかったのではないか?

 “sano手術”になぞらえるのはおこがましいことかもしれないが、一度預かった生徒との指導のやり取りの一つ一つは、常にそれは“一つのsano手術”ではないかと思えてきた。逃げてはだめなところが同じ。そして、若い命を預かるところが同じ。覚悟が求められるところが同じ。人に関わるプロとプロなら同じだろう。小児医療に本物のプロが一人いたということだ。こっちもやるしかないだろう。(了)
 

1マイル4分の壁の話

 新入生には特にこの5月連休明けあたりからが、本当の1学期の始まりなのかもしれません。とかく気を張りすぎて、なにかと力んでしまうのが入学からこれまでの1ヶ月くらいですね。もっとも、急に力が抜けすぎるというのか、俗に“五月病”と言われるスランプに陥ることもよく言われます。後で思えば、どこかで平衡を取り戻したい子供たちの自己防衛反応だと納得できたりするのですが、まさにそのスランプの渦中では、ただただ不本意な思いに本人は苦しまなくてはなりません。多くの場合は、いつのまにか元の元気を取り戻すのですが、しかし、中には長引く場合もあります。『ぼくは駄目だ!』と一度思い出すと、その思いから開放され、回復するまでそうそう容易にはいかないものだと思います。自分で壁を作っていたことには、残念ながら、その壁を取り払われてから初めて気がつくものですね。
 自分が自分を閉じ込める壁は、案外しぶといものです。なかなか、そこから這い出せないのであり、そもそもこの壁は見えないし、だから気づけないことになっています。死角と言ってよいのか、目に入らないので、つまり、本人は自分が壁に囲まれているとは思ってさえいないということなのです。人生の様々な困難を壁に例えるのはとてもわかりやすいのですが、その壁がなかなか見えないものであることを意外に言わないような気がします。

 心理学の世界で有名な“1マイル4分の壁”という話をご存知の方もおいでだと思います。主にヨーロッパで人気の陸上種目に1マイルレース(※正確には1609メートル走)があります。オリンピック競技など一般には1500メートル走が採用されていると思っていて、実はマイルレースの存在を長いこと私は知りませんでした。

 この“1マイル4分の壁”とは、1マイル4分を切るのは人類には不可能だという定説のことを指します。話は1954年、今から60年ほども前になります。この1マイルの世界記録は、長らく破られなかったりもして、それゆえ、マイル4分は人類の限界だという説が陸上界を支配してしまったのですね。ところが、この1954年、イギリス人のロジャー・バニスターという中距離ランナーが、ついに3分59秒台を叩き出してしまいます。彼はその後、神経医として優れた業績を残すのですが、理にかなった科学的なトレーニングの成果により、人類に不可能なはずだった4分の壁を彼は破ってしまったのです。一躍彼は時の人となったのですね。

 ところが、実はとんでもないことがこのバニスター選手の世界記録が生まれてから次々と起こるのです。バニスター選手が4分を破って“奇跡”を演じたのもつかの間、2ヶ月もしないうちに彼のライバルのオーストリアの選手が今度は3分58秒台を叩き出してしまいます。バニスター選手の記録は2ヶ月ももたなかったのです。しかし、それだけではありません。本当にもの凄いことがそれから起こります。バニスター選手が初めて4分の壁を破って1年もしないうちに、なんと23人ものランナー達が次々と4分を切ってしまったのです。聞けば不思議に思わざるをえないでしょう。この年、急に人類が進化を遂げたとは考えられませんね。では、この壁は何だったのでしょうか?

 おそらくバニスター選手によって、“1マイル4分”という壁が、多くのランナーの目に見えるようになったからではないでしょうか。見えてしまえば、その壁を越えるのは時間の問題だということかもしれません。(了)
 

鯉のぼりの話

 鯉のぼりが今年も舞いました。やっぱり子供の日は晴れが似合います。例年より涼しい感じはしましたが、しかし、しっかり晴れ上がり、今年も子供の日らしい一日となりました。そして頃合いの風も吹き渡り、鯉が空を泳いでくれました。子供が健康に育って欲しいとの思いは今も昔も変わらぬ素朴な親の願いです。鯉のぼりの発祥は江戸時代に遡るとのこと。武家が男の子の立身出世を願って始まった起源があるそうです。例の“登竜門”という故事、たくさんの魚の中で鯉だけが竜門という滝を登り竜になれたという中国の故事から、鯉の強さにあやかろうと始まった風習なんですね。それがやがて町人に伝わって、今に至っているようです。

 ところで、江戸時代は旧暦でしたから、旧暦の5月5日というのは今の新暦でいうと、だいたい6月初旬くらいになるとのこと。つまり梅雨の頃だったのですね。これは実に意外です。考えてみれば、鯉はもちろん魚ですから、梅雨模様の空の方が泳ぐにかなっているといえばかなっているのですが、今となっては梅雨空の鯉のぼりでは違和感があります。やはりあの“♪甍の波と雲の波~♪”で始まる文部省唱歌『鯉のぼり』が歌う“♪高く泳ぐや鯉のぼり~♪”のイメージがあまりにも鮮明で、鯉のぼりといえば五月晴れの空と、私などもすっかり思い込んでいます。新暦になった明治からそろそろ150年が経ちます。そしてなんと偶然きりのよいことに、彼の『鯉のぼり』の歌は今年で丁度唱歌になって100年目だそうです。1世紀も歌われ続けているのですね。 

 ついでではありますが、この唱歌『鯉のぼり』の作詞者は不詳ということになっています。これは案外凄いことだと思います。名も無き市井の人がこの詞に表そうとしたものは、これも名も無き普通の家の普通の親の実直な願いです。市井の人であるからこそ、かえって際立ってその思いが表せているのかもしれません。ついに最後まで名乗ることなくこの歌の作詞者はみまかられたということでしょう。誰だか知りたいようであり、それより遥かに強くそのままにしておきたい気持ちになります。ちなみにこの唱歌の作曲者は弘田龍太郎さんと言います。大変高名な童謡の作曲者でいらっしゃいます。失礼ながらネタではないかと笑いそうになりますが、“竜門の鯉のぼり”の曲を“龍太郎先生”が作られたのでした。しかも今の東京藝術大学の学生時代の作曲だそうでして、まさにそれこそ龍太郎先生の“登竜門”であったのかもしれませんね。

 鯉のぼりが空を泳ぐのを見るとき、何かを思い出している気分になることはありませんか?何か微妙に失いかけているものがそこに甦っていたりして・・・。何気なく見ても常に懐かしいような・・・。今の今こそ思い出して意味のあるものを鯉のぼりはくわえて泳いでいるのかもしれませんね。(了)

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