2012年10月

調教の話

テレビのバラエティ番組で人気だったチンパンジーが、女性に襲いかかってケガをさせてしまったというニュースが少し前にありました。私もその番組を観たことがあり、そのチンパンジーのことは以前から知っていました。番組ではチンパンジーはとても愛くるしい様子で出演者の誰彼にかわいがられておりましたね。だからそのニュースを聞いたときに、にわかにあの番組のチンパンジーのことだと気持ちの中で結びつけられない感じがしました。実も蓋もなく言ってしまえばやはり獣だったということではありますが、番組で演出されたシーンを見るにつけ、まるでこのチンパンジーが人のような人格を持っている錯覚に陥っていたのです。

もしも野生のチンパンジーの群れの中で育っていれば、ああいった物腰になることはなかったろうと思います。チンパンジーという種のルールの中で、はみ出すことなくチンパンジー然としていたでしょうね。かつて草食であるとばかり頭にありましたが、野生のチンパンジーは集団で他の猿を狩って食べると、ある時期知りました。その狩のシーンを見たときには、なんといってもやっぱり野生だなと思えました。バラエティ番組のチンパンジーも群れで育っていれば、長じてからは仲間と一緒に獲物を目指して狩に連れ立って行ったわけでしょう。

さてそうするとこのチンパンジーは、野生の群れに帰ることができるのか?というとどうなるのでしょう??そういう実験がどこかであったかもしれません。なんとなくの想像ですが、もう戻れない気がしますね。10歳位ということで、人間の年齢に換算するには1.5倍なのだそうで、つまりこのチンパンジーは人間で言えば15歳前後ということになるようです。チンパンジーとしては繁殖年齢に達しているのだそうで、もう立派に成獣になっているということでした。やはりもう群れには戻りにくそうです。もちろん群れの方で受け入れてくるかという問題もありますね。群れの掟は甘くなそうに思えます。

これから彼はどうするのだろう?そう思っていたところ、どうやら動物園に戻るのだそうです。もともと動物園の生まれですから、まぁ、蟄居・自宅謹慎ということでしょうか。このチンパンジーはおそらくこれからもご飯に不自由することはないかもしれません。野生のチンパンジーではそうはいかない場合もあるでしょう。飢餓との闘いがありそうです。チンパンジーのオスは特に長じると獰猛になるので実は猛獣指定されているそうです。バラエティ番組のチンパンジーはその野生の世界から解放されたと言えますかね?それとも動物園で人もどきになるべく束縛されてしまったと言えるのか?調教ということについて考えさせられました。

ちなみにチンパンジーンの件には直接関係ありませんが、日ごろ教育は束縛ではなく解放だと思っています。調教まで言うのは言い過ぎですが、束縛を教育と錯覚しそうになることがままありますね。自身を戒めなければと思います。(了)

39年の話

ここのところ塾業界の他社を訪問する機会が増えています。先日も都心のある塾を訪問させて頂きました。私鉄線の駅から2分。旧東海道に面した交差点すぐにその塾はありました。落ち着いた感じの看板の下に入り口があり、中に入ると3階までまっすぐに階段廊下が延びていました。毎日生徒たちがこの階段を昇ってそれぞれの教室に入っていくのだなと思うと、なにかその生徒たちの姿が見えるような気がしました。創業は昭和48年とのこと。今から39年前に始まった塾なのだそうです。
 
昭和48年というと、この年起きた第4次中東戦争により日本だけでなく世界が石油危機に見舞われた年です。当時私は小学生で何が何やらさっぱりの年齢でしたが、トイレットペーパーを買い占めようとスーパーに殺到している母親たちの姿がテレビニュースに映し出されるのを見ていた記憶がなぜか鮮やかに残っています。またこの年はベトナム戦争が終結した年でもあります。これも当時テレビニュースに映った渋い表情のニクソン大統領の顔と、泣いているベトナム人の子供の姿とが同時に記憶の中から甦ってきます。昭和48年は私にはそういう年でした。
 
私の個人の記憶の中では、昭和40年代の終わりは実は幸福だったという思いがあります。私が無責任な子供だったせいでそう思うのか、もちろんそれもあるけれども、いやその分今より勘がよかったはずなのでまったくあてずっぽうでもなく、日本中がもっと元気だった気がします。私の両親も近所のおじさん、おばさんも、子供たちもみな元気でした。あの頃何があったというんですかね?
 
ちなみにこの昭和48年は流通の雄であるセブイレブンが創業しています。こちらの塾はセブンイレブンとともに始まったわけですね。階段を昇った2階の教務室で塾長先生に色々お話を伺いました。お話を聞くにつけ、やはりなんといっても塾長先生が歴史そのものだと感じます。およそ40年間に渡り、毎年、毎日、生徒たちを迎え続けてきたわけですから。言葉では歴史のすべてを表せないでしょう。それは塾長先生の存在から感じるしかないものです。
 
考えてみると学校の教員は新卒から大体40年ほどで定年を迎えるのが普通です。教員人生は多くは40年なのでしょう。しかし、こちらの塾長先生はまだまだこれからも教室現場に立ち続けるとのこと。講師一代といいますか、人生そのものという感じを持ちました。寺子屋のお師匠さんというのはこのような人たちではなかったかとふと思ったものです。脈々と続いている歴史が、現在と溶け合ってさらにまだまだ繋がっていくわけです。塾長先生は過去を振り返っている暇はまったくないと言われていました。(了)

家族の話

教師と生徒の間柄は家族でいえば何に一番近いでしょうか?これは意外と難問です。まず親子の間柄ほど近くはない。もっと距離があるような気がします。同じように兄弟姉妹とも違っている。家系図ですぐ上下の親子とか、すぐ隣り同士の兄弟姉妹ほどさすがに関係は濃くはないと思えます。家族という血縁をベースにした中に教師と生徒の間柄との類似は見出しにくいですね。6親等までの血族が親族ですが、具体的にはたとえば“はとこ”がそれにあたります。“はとこ”とは祖父母の兄弟姉妹の孫達のことですから、親戚といってもめったに会うことはありません。しかし血縁の加減がいくらか薄まり“はとこ”の辺りを見渡しても先生は探せない気がします。

血縁関係というのは教師と生徒の間には馴染まないように思います。元は他人というところが教師と生徒の始まりにはしっくりきます。むしろ他人であることが教師の条件でさえあるように思えます。大相撲の若貴が父親である二子山親方のもとへ弟子入りしたときに、親方が今日から親子ではないと決心したと聞いたように思います。滅多にできない覚悟と思いますが、それでもやはり難しいものは難しいので、色々心の中では葛藤があったのではないかと想像します。しかし弟子入りとはそもそもそういうもののように思えるのです。

ではなぜそのように思うかを考えてみると、やはり若貴は弟子入りで、2人が大相撲社会の門をくぐったからだと思えます。ある社会に足を踏み入れるときに、そこで道を示せるのは当然のごとくその社会の住人であるはずだと私たちが思い込んでいます。その住人は父親でも兄でもない。すなわち師匠でなければならないわけです。翻って学校の先生と生徒についても、血縁が馴染みにくいように感じてしまうのは同じような原理が働いているからだと感じます。

学校は子供たちが出会う社会らしい最初の社会であると誰もが感じているわけですが、その学校の門をくぐるときは“人間臭さ”は家庭に置いていかなければならないイメージがなんとなくあるように思います。よく言えば襟を正すと申しますか、悪く言えば少々の偽善が混じると申しますか。これは単なる思いつきに過ぎないのですが、学校の先生やクラスメイト、そして先輩、後輩に至るまで改めて家族として捉える見方は、これから先意味が出てくるような予感がします。もとより同窓というくらいで、同じ窓を見て育つのですから。学校を今一度家族の集合と捉え直すときに、何かが変わりそうな気がしきりにしています。(了)

役者の話

役者は一度やったら辞められなくなる、というのを聞いたことがあるでしょうか。役者をやった経験がある方はそうそういないとは思います。しかし実体験は伴わないものの、何か感じがある言葉と思う方も少なくないでしょう。私の役者経験と申しますと、高校のときの発表会にクラスで森鴎外の『高瀬舟』をやることになり、その同心役として講堂の仮設舞台に立った経験が唯一です。これで役者といえるかどうかは置いておきまして、そんな一瞬の刹那の経験でしたが、始まる前の緊張感と終わった後の興奮を今でも覚えています。

特に終わった後の興奮というのが強かった記憶があります。終わったことの開放感ももちろんありましたが、それ以上に興奮が湧いてくるようでテンションが上がって騒ぎまわりましたね。それは“とちらずにできた”というシンプルなうれしさであり、また、少年の率直な思いとしてやっぱり観衆の前で“カッコウがついた”という気持ちだったようにも思います。もう一度進んでやりたいとは思わないけど、やれと頼まれたらまたやるかもな。そんな気持ちでした。あれは一種の高揚感だったと思います。

役者が辞められなくなるという要素は、色々な要素の思いが足に絡まりついて、舞台からそれこそ足抜けができなくなるということかもしれません。それらの思いは人を相当強く引きつけてしまう力を持っています。話は変わりますが、先日、降旗康男監督の『あなたへ』という映画のことをテレビ番組の中で主演の高倉健さんが紹介されていました。そのときの高倉さんの言葉の中に『生きるために俳優をやってきて・・・』というくだりがありました。高倉健さんが言ったからでしょうが、本当にかっこよかった。自分は生きるために俳優をやってきたと高倉さんは確かに言われました。

生きるために俳優をやってきたというのは、生活の資を得るために他の道もないので、というニュアンスを敢えて高倉さんは残しておられて、後付けの意味を拒否しているのだと感じました。相当に照れ屋なのでしょう。しかし、だからこそ、生きることとイコールであった高倉さんの俳優の道が少し覗けたようにも思いました。

生きるために教師になった。教師は一度やったら辞められなかった。そんな話が教育の道にもあるような気がしています。(了)

学園祭の話

学校時代の思い出を聞かれて学園祭のことを挙げる方は少なくありません。丁度そのシーズンですね。中学・高校そして大学で、あちらでもこちらでも学園祭が週末行われています。私学中高法人の前を通りかかると手作りのポスターが随所に貼ってあります。一生懸命に描いた跡がうかがえて、来てもらいたい気持ちが現れています。言ってみれば彼らなりのマーケティングはとてもオーソドックスなわけです。

学園祭はなんといってもその準備に9割9分のドラマがあるように思います。テーマを決めるまでにまずは一山ありますね。なかなか簡単には決まりません。そこをまとめるのは生徒達ではあるのですが、中学あたり、そして高校についてもある程度は教師の出番があるところでしょう。それは、手取り足取りというのではなく、一からは十までというのでもなく、本当に要所々々で一声かけるくらいが加減のよいところではないでしょうか。

揉め事がかならず起こります。揉め事がなければ学園祭ではないかもしれません。熱心になるほど、揉める確率が高くなるからです。自分の主張と仲間の主張の食い違いがある。その違いをどうやって埋めるか?感情的にならずに解決することがとても難しい年齢です。感情的なぶつかり合いが一部で起きる。その動向を回りで見ている一定数がいて、そのうち段々そこから離れていく者が出始める。こうなると準備どころの騒ぎではない。ここらが教師の出番ということでしょう。

このとき諍いを洗い流すには何が必要か?教師にはこの点の見抜きが大切です。それが全体の流れをどこか塞いでいるわけですから、それを取り除くたった一手を探すのです。もう一度さらの状態になるためのたった一手です。まずは感情を鎮めさせるところから入り、向き合える状態をセッティングする。そして、できたらそこで教師は消える。消えれそうであれば消えるということ。この加減をはかれることが教師の要件ではないでしょうか。

私はときおり学園祭のような生徒の行事活動で教師がどうあったらいいのか、そんなことを考えるでもなく思うことがあります。そんなときふと『行事のとき先生はお地蔵さんみたいであれがいい』と思い浮かんだことがあります。昔の子供たちが遊んでいる脇に、にっこり、黙って佇んでいるお地蔵さんが描かれている絵がありますよね。あのお地蔵さんのように傍にいるのが行事の教師としてぴったりだと思いました。このとき以来、私は行事の教師はお地蔵さんたれと思うようになっています。

私は仏教に明るくありませんが、調べてみると地蔵菩薩は“大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々をその無限の大慈悲の心で包み込み救う”存在であるそうです。“包み込み救う”という言葉が気に入りました。学園祭のときのあの先生が、と思える先生の顔がお地蔵さんの顔に見えてきませんか?(了)
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