2012年09月

W君の話

エデュケーショナルバンクの『教育の道』紹介サービスの会員でW君という一橋大学の院生がいます。一橋大学はこの小平オフィスから近くにあって、W君が6年間住み慣れた今の彼の住まいもこちらのオフィスから至近距離だということです。それでも先だってまでは、まったくこちらに気づくこともなく、W君がインターネットの当社のホームページをたまたま観る機会があって応募して来た方です。一つのご縁ですね。

W君は私学の教員を志望しています。熱望、切望といった方が彼の現状にマッチしますね。なんとか教員採用選考試験を突破しようと、うちの門を叩いてくれたのです。最初に少しお話をし、すぐに非常に明確にご自身の考えを伝えられるタイプの青年だとわかりました。面接試験は得意そうでしたので、限られた講習時間を有効に活かすには、経験が不足している授業力アップの個人レッスン講習に入ることにしました。

今週で3週目を迎えました。日曜日に2時間の枠を取って、毎週一緒に授業力を上げるためにロープレング研修をしています。授業案をしっかり作ってもらうところから始めてもらい、基本動作が板につくように模擬授業を繰り返してもらっています。自分が生徒役になり、まぁ不自然な生徒ではありますが勘弁してもらいつつ、30分弱実施してもらい、その後、同時に撮影しておいたご自身の授業のビデオを見ながら、到達点や修正点を一緒に一つ一つ確認していきます。

さすがに第1週はぎこちない授業でした。それはそのはずで、彼は新卒ですから授業の経験の絶対量が足りません。それに模擬授業に臨むときには最初は誰しも緊張します。ぎこちなくて当然なのですね。その実施が終了し、ビデオを見ながら二人で話すうちに、自分の姿を見るというのは大きなことだといつもながら思います。じっと凝視しながら、少し笑いながら、自分の姿を見ています。この姿が大事です。それは『全然、だめだなぁ』という姿です。

自分の姿を確認することが、どれだけ威力があるかと言いますと、それによって本当に足らざるを知ることができます。それがわかれば、その不足を埋めるのはそれほどのエネルギーを要しません。実際にW君は翌週はもう見違えるような姿になりました。調子のよいことを言っているようですがこれは本当です。それがどこでわかるのか?それはW君がその模擬授業を楽しみながら進めている様子が見えたからです。そして、このことがW君が本当に教員に向いた人だと確信できた瞬間でした。(了)

学校説明会の話

私立の中学校・高校では学校によって教育産業の業者向けに学校説明会を企画する法人さんがあります。ちょうど今時分から来月いっぱいがそのシーズンとなっています。ここしばらくそんな説明会に足を運ばせてもらっています。参加させて頂いてよく感じることですが、本当に学校が変われば説明会も変わります。なんと申し上げてよいか、その学校法人さんのやはり個性が出る部分の一つなのだと思います。誠実感を前面に出される学校、朗らかさを前面に出されている学校と、本当にはっきりとした違いが出ています。

まるで人それぞれ顔が違うように、確かに学校にも顔がありますね。人は表情から色々読み取ろうとします。そして実際に相当部分を読み取った気になってしまうものです。また、あながちその読み取りは実際の内実とそうは外れていない。それが人の表情ではないでしょうか。しかし、あまり食い入るように人様の顔を見入っているのはそうそう歓迎されません。見るか見ないかのうちに、それでもやっぱり見る。それが普通の表情を読むということなんだと思います。

さて、このところお伺いした中高法人さんの説明会についてのレポートを書こうとして、その説明会を思い出そうとしますと、ご説明の細部というのは、実際自分の記憶だけではなかなか思い出せません。これはやはりメモがないと太刀打ちできないですね。では正味の記憶が何を覚えているかというと、みなさんもそうなのではないかと思いますが、なんとなくの全体観なのです。そしてその甦る全体の映像が、『そうそうそんな感じだった!』と自分の中で合いの手を入れるわけです。これなどは、頭が覚えている内容というより、むしろ五感が覚えている内容といった方が事実にかなっていると思えます。

私学にはそれぞれの学校の独自の建学の精神があります。どんな学校でありたいのか、建学者の願いとともに、その学校の歴史がずっと温め続けてきた哲学なのだと思います。ただその建学の精神といえども、言葉で読み取ることができる部分はどれほどにもならないのではないか。敢えて申し上げますと、建学の精神は感じるものだと思います。言葉以上のもので感じる他ないものかもしれません。五感で感じ、そしてもしかすると第六感でも感じるものなのだと思えます。学校説明会のことを思い出すときに、メモ以外で思い出せるものには、大きな世界に繋がっているものがある気がしてなりません。(了)

天の時の話

 私立中高法人の次年度教員募集が活発化してきました。これから丁度専任教員の求人募集がまずピークを迎えます。先日8月26日の私学適性検査の結果もまもなく出てきますし、本格的に公募を開始される学校法人がどんどん出てくるタイミングです。採用が決まったという方は、さすがにまだ限られていると思います。これからが本番ですね。

 何事もそうかもしれませんが、学校の先生になるについても、後でご縁と言うほかないような巡り合わせの働きがあるように思えます。もちろん選考を通過するには、その学校でよい先生になるにふさわしい、それだけの素養があり、あるいはまた、そのことが潜在している可能性がよくわかることが前提ではあります。しかし、有望な方同士における、その優劣の判断となるとそもそも難しいに決まっておりますし、いずれ紙一重の判定になることはまちがいないところです。100メートル走や格闘技を競うように明瞭な勝敗はもとよりつかない世界のことですから。そのとき採否を分けるものは何か?実はこのことは言葉にして説明できない部分が絶えず残ると思います。

 よく戦いに勝つための条件として「天の時、地の利、人の和」と聞くことがあります。なんとなくわかった気分になる言葉ですが、実は詳しくはこれらの条件は「天の時=地の利=人の和」であるとか、あるいは『天の時+地の利+人の和=勝利』ということではないようです。本当はどうやら「天の時<地の利<人の和」として、この3つの条件に優劣があり、最も決め手になるのは“人の和”であると原典の孟子は説いたそうなのです。原典は次のようです。『孟子曰はく、「天の時は地の利に如かず。地の利は人の和に如かず。」』

 “天の時”とは、天によってもたらされる幸運という意味のようですね。運ではなくて人々が一致団結し、そして地勢に通じていることが戦いの勝敗を決める度合いが大きいというわけです。まさにその通りでありましょう。ただ、天のもたらす幸運もなんのことはない、3番目に大事であると言っていることでもあるのですね。実は馬鹿にできない大きな要素と孟子先生もお考えであったのではないでしょうか。

 冒頭、学校法人との出会いを “ご縁”と思うしかないと申しあげましたが、これは孟子が言うところの“天の時”、すなわち天のもたらす幸運にあたると思っています。教員として迎えられるにおいて、“人の和”や“地の利”的な明確な競争優位は何かについてはある程度わかっていると思います。私たちにできることは、その優位をなんとか実現するよう地道に努力して、その上で、心騒がすことなく“天の時”を待つことなのかもしれません。幸運をお祈りいたします。(了)

私学活性化セミナーの話

夏休みも終盤となった8月23日と8月29日、2回に分けて『私学活性化セミナー』を開催致しました。23日は川﨑の鷺沼会場で、29日に板橋の本社でそれぞれ2時間30分の講演をさせて頂きました。いずれの回も30分ずつ延長となってしまい、参加頂いた先生方に予定に障りが出なかったか少々ハラハラしておりました。とてもプロとは呼べない時間配分です。ただ、途中から自ずと話しに入り込んだと申しますか、自身の話に自分でのめり込んだことが、弁士に時間を忘れさせてしまったのだと思います。
 
今回のテーマは、
教員マインドが決める生徒募集の成功
教員採用は私学100年の大計
という二つを掲げておりました。タイトルだけで既にかなり大風呂敷を敷いている気配が濃厚です。そもそもこのような大テーマを取り扱える素養があるのか自分でも訝しいと思うものでしたが、私学の先生方にお役に立てるポイントを一番先に、と思ってテーマを選んだところ、上記の二つが浮かんで、そこから離れられなくなってしまいました。
 
事前に学校様にお届けした当セミナーを広報するパンフレットには次のようなコメントを添えさせて頂いています。『・・・生徒募集と教職員募集は、大袈裟ではなく学園の存亡に関わる大事であり、学校法人の未来は、ずっしりとここに懸かっているといってもよいかと存じます。私自身、私立学校の厳しい現場環境の中で、新入生と教職員とこの2つの募集活動に携わらせて頂き“押しても押してもビクとも動かない山”を前に、尚も徒手で押し続けているような感覚にとらわれることがありました。どうしたら動かせるか?なかなか正解が見つからない日々の苦悶を忘れることはありません。長いそういった日々の中から、なんとか定員を回復できたときの喜びは、言葉にできないものがありました。そのような実体験の中から、人の力と募集回復は絶対に切り離せないものであることが骨身に染みてわかったものです。・・・・』
 
教員として優れた資質をもっている先生がもちろん私学には必要だと思います。しかし、その上でさらに、ご自身の奉職する学校法人を一艘の船と見立てるときに、“この船は絶対に沈めてはならない”と本人が心の底から決意できるか、これがいわば“私学人の要件”の一つであるとどうしても思えます。そしてこの船を浮かべる海は、ときとして船を沈めかねない市場原理の大波を容赦なく浴びせてくるかもしれません。生徒があってこそはじめて船となりえる点も私学(学校)の宿命です。その上船となっては、けしてそれを沈めてはならないのです。
 
私学の先生方の辛さはこの点にあるかもしれないと思うことがあります。少なくとも私はそうでした。ただ、私どもは私学の1ファンとして、次の港に向う船の数々がともに活気をもって威勢よくこぎ合えると思いたいですし、また、それは可能であると確信もしております。今回は少しでもこのことをお伝えしたかったのです。このようなテーマでしたのでご参加頂いた先生方は学校長先生はじめ副校長先生、教頭先生と部長・室長先生方がお見えでした。まさに釈迦に説法のようなセミナーとなってしまった次第です。果たしてお役に立てたでしょうか?(了)
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