2012年06月

空間の話

“奥行きがある”と聞くと、その話は箱のことを言っているのかな?それとも棚かな?あるいは部屋とか建物のことかな?と思い浮かんできます。また映画や文学作品など物語の内容に深みがあることを言うときにも、評論家の短評などにこの“奥行き”という言葉を見かけることがあります。

“奥行き”というのは確かになにか感じのある言葉です。この“奥行き”という言葉自体に言葉としての奥行きがあると言ったらいいのか、なんだかややこしくなって来ましたが、なにか聞いたときに拡がっていくイメージが心に残る語感があります。なんと言いますか、あたかも心の目が“奥行き”のその際を探そうとして動き続けているような感覚を与える言葉だと思います。静かな響きとはうらはらに動的な言葉なのだとも思えます。けしてベタっと張り付いたりしないですね。
 
 面を前に押して空間を作るというのは、私たちは神ではありませんのでイメージの世界でしかありませんが、ある広さを持った面を面ごと前に押し出せたなら、面を動かせた分だけその軌跡が空間を作っていくのをイメージできます。すなわち面が奥へ行くから空間になる。奥行きと言う言葉に動的なイメージがあるのは、この“‐行き”の響きによるのですね。
 
 さて、教室は言うまでもなく空間です。授業で生徒達がいるときと、授業が終わって生徒達がいなくなった後では、この同じ教室空間がかなり違った顔付きに見えますよね。教育の道にいる多くの人が感じる素朴な経験だと思います。授業のときにできている空間は、教室の物理的条件としての空間性とはやはり異なるわけです。では授業のときの空間にはどんな性質があるのだろう?多くの人が実感していることを言葉にしてみたいと思います。
 
講師は、授業の前に1コマの限りある授業時間の中に、カリキュラムに沿った予定進度を割り付けてから授業に入ります。この割り付け段階では、時間を横軸に、進度を縦軸に、縦と横とを掛け合わせた面積がその1コマの授業の総体と捉えています。そしてこの面積のことを、特に経験の浅いときには無防備にもそのまま授業だと思い込んでしまいます。この段階では予習をとにかくしっかりして、予定した配分通りに授業を進めれば1コマを仕上げることができると考えるわけです。

しかし、そうやって張り切って予習をし、準備万端で授業に入っても、気がつくと生徒がまったく表情を変えず、置物かなにかのようにじっとしている。そして、だんだん疲れた、ダレた様子になって、生徒は不機嫌そうな顔になり、ときどき溜息を吐いては、顔を斜めにしてこちらを見ている。こうなると講師は大いに焦ってしまい、焦るとさらに空回りして、授業が終わったときにはもうほとほと疲れ果て、何も考えられないような状態になってしまっている。これはおそらく誰にも笑えない話であり、程度の差こそあれ、教育の道にある者には少なからず経験があることではないでしょうか。
 
 このことはなぜ起きてしまうのか?新人の頃にはよくわかりません。生徒に誰か別の講師と比べられているからだとか、生徒が人見知りしているからだとか、やっぱり自身の進め方が下手だからだとか、色々理由らしきものは思い浮かびますが、すべて当たっているが、すべて違ってもいて、結局、何が原因かはわからないまましばらく悪戦苦闘が続くのです。

その苦戦の本当の理由が、自身の授業が平面であったからだと実感として気づくのは随分後になってからとなります。先ほど見た進度と時間の縦×横では面積しか出てこない。つまり平面にしかなっていません。平面の中に生徒が入って来られるのでしょうか?空間がなければ生徒は入れないのです。迂闊にもその空間作りを忘れていた。ひたすらX軸に時間を、Y軸に進度をとって掛け合わせてみてできたのは、なんのことはない、張り切って予習をまとめたノートの中の授業案に過ぎなかったわけです。平面はあくまで2次元で、その2次元の準備をしただけでは3次元の授業空間に通用するはずはありません。実はものすごく単純な勘違いだったわけです。

冒頭で奥行きという言葉の語感について『あたかも心の目が“奥行き”のその際を探そうとして動き続けている』と申し上げましたが、これに若干の言葉を加えて『あたかも講師の心の目が“奥行き”のその際にいる生徒の心を探そうとして動き続けている』必要が講師の方にはあったのだと思います。X軸とY軸と、そこに講師のいわば心眼がZ軸として立てられるべきでした。そのZ軸が生徒を求めて奥へ向かって延びてこそ、授業空間ができるのだと思います。授業の空間には奥に向かって行くものが必要なのですね。(了)

筆子の話

“筆子”をご存知でしょうか?文字通り“フデコ”と読みます。

女性の名前に見えますね?確かに少し年配の女性の中には、たまにこの字を用いた筆子さんをお見かけすることがあります。しかし、ここで最初に伺いたかった筆子とは女性の名前のことではありません。

実は筆子というのは、その昔寺子屋の生徒達の呼び名だったのです。だから筆子という名は、親御さんが賢い娘に育って欲しいと願ってつけた名前だと思われます。

寺子屋は明治の学制により小学校が設置されるまで、日本の子どもたちが読み書き算盤を学んだ私塾の呼称でしたね。江戸時代の天保とか安政と言われる時代、1850年前後には、なんとその数1万5000ヶ所もの寺子屋が日本にはあったといいます。当時の人口は2500万人とされていますので、現代日本の1億2800万人と人口比で対照すると、寺子屋の数は現代なら75000ヶ所と換算してさしつかえないでしょう。

ちなみに現在全国に公立・私立合わせて3万数千の小学校・中学校があり、また塾・予備校の事業所数をおよそ50000事業所とする統計資料があります。但し、塾・予備校には高校生以上を対象とするものが相当含まれます。そうしてみると寺子屋に通っていた子ども達の学齢に絞って対比したときには、江戸時代には既にほぼ現代とどっこいの教育環境があったとみてよいのかもしれません。

寺子屋では主に実生活に必要な知識や技術を教えており、子ども達はそれぞれ筆を手に手習いを練習していたのでしょう。だから筆子と呼んだのですね。この草の根の教育ネットワークとも言える寺子屋によって、当時の日本の子ども達の就学率は世界的にみてもきわめて高く、子ども達の識字率は世界最高水準であったと言われています。

当時の世界最先進国といえば産業革命を早くも終えていたイギリスとなるでしょうけれども、江戸時代の日本の子ども達の就学率は、当時のイギリスの都市部の子ども達のそれに比して数倍の高さであったようです。明治以降の日本の近代化を称して“奇跡の近代化”というように聞いたことがあります。しかし、本当に奇跡なのでしょうか?どうもそうではなくて、あるべき必然だったのかもしれないという気がしてきます。

また、江戸時代260有余年に渡る平和な時代が続いた歴史は世界史上類例がないと伺ったこともあります。島国だからという理由に加えて、私は当時の日本人の民度の高さがあったのではないかと想像しています。寺子屋が江戸の社会に果たした役割はいかにも大きかったのではないでしょうか。

さて筆子達にとって、寺子屋の師匠は一生の師匠でもあったようです。
もうすぐ奉公に出る子ども達にとって算盤の知識、技術はとても大事なものだったでしょう。
世に出てみてその教えがしみじみありがたかったのだろうと思います。そうした生活の技術を伝える一方で、寺子屋のお師匠さんはときに道を説いたのかもしれない。ときには必死で叱ったのかもしれません。あるいはお師匠さんのたたずまいから筆子達は何かを学んだのでしょう。それらを含め筆子達には心から愉しかったのでしょう。筆子達はお師匠さんを生涯の師として慕ったといいます。

それが証拠にお師匠さんがお亡くなりになったときには、お世話になった筆子達が集まりお金を出し合って、そのお師匠さんのお墓を立ててくれたそうです。
筆子が立てた墓らしく、上が丸く筆を模した形のお墓です。この墓を筆子塚といいます。
関東のある地方だけでもその数3000を優に超える筆子塚があるそうです。
そのお墓に入ったお師匠さんの気持ちを想像してみますと、なんとも嬉しかったのではないかと思います。
納得の人生だったと思っているのではないでしょうか。教育の道を志す者にとって羨ましい生涯に思えます。
きっとお師匠さんはお墓の中で、『寺子屋の師匠となっての生涯は、天の定めた、まさに天職だった』その思いを噛みしめているにちがいありません。

教育の道が天職だったと思える瞬間なのだと思います。お墓の中での話ではありますけれどもね。(了)
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